Culture  

連載 ニッポン化粧ヒストリー
第1回 エステのはじまり〜明治時代のビューティ革命

現代では想像もつかない風習や驚くような技術など、日本独自の化粧カルチャーに迫る新連載がスタート。江戸から明治、大正、昭和まで、化粧史の流れをただ追うのではなく、毎回ひとつのテーマを掘り下げる形でご紹介します。第1回は「美顔術」。今でいうエステが誕生した明治時代までさかのぼります。
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明治のエステ美容サロンの施術風景。厚い布団をかけ、2人の施術者が丁重におもてなし。(衛生美顔術施術図)『欧米最新美容法』東京美容院編/1907年(明治40年)

近代化とともにやってきたエステ文化

今からちょうど150年前、明治政府の近代化政策によって、服装や髪型、化粧が次々に欧米化。長い間続いた「剃り眉」「お歯黒」などの伝統化粧は、これにて終焉を迎えます。はじめて外国人の目に触れて、その風習が独特であったことを自覚させられた明治の女性たちは、自分の生まれ持った顔と改めて向き合い、自然体の美しさに目覚めていきます。
明治後半になると、一部の裕福な女性や美容家たちが、欧米から最新化粧や美容法を持ち帰り、雑誌や新聞で紹介しはじめました。中でも注目を集めたのが「ハイジェニック・フェイシャル・カルチャー(Hygienic facial culture)」、今でいうエステです。当時は「美顔術」と訳されました。明治30年代には、横浜や新橋、日本橋などの繁華街では、施術が受けられるエステティックサロンがオープン。日本の女性美容家の草分けのひとりといわれる遠藤波津子の「理容館」(現「Hatsuko Endo」)や芝山兼太郎の理髪店「日之出軒」(現「シバヤマ美容室」)が登場しました。
女性向けの総合誌『女学世界』『婦人世界』には、婦人記者による「美顔術」体験突撃レポートが掲載され、一般女性もこれには興味津々でした。ところが「美顔術」という呼び名から奇術ではないかと怪しんだり、医術との混同でビフォー・アフターが劇的に変化してしまうのではないかと怖れたり。顔に何らかの手を加えることは、はしたないのではないかという思いもあり、実際に施術を受ける人は限られていましたが、女性たちの飽くなき興味と探究はやむことなく、エステは10年ほどかけて市民権を獲得していきます。
(左)江戸時代の美人像。美艶仙女香/渓斎英泉 1829~42年(文化12年~天保13年)/(右)明治時代の美人像。絵はがき/明治時代

未知の施術に果敢にトライした明治の女性たち

「美顔術」の施術内容を見れば、現在のエステの基本と確かに通じていることがわかります。まずは蒸しタオルで毛穴を開いた後、明治になって日本に導入された欧米の化粧品クリームをたっぷり肌に塗り込み、汚れや皮脂を絡め取ります。除去効果を高めるために、カップやローラー、さらには電気を使うという、当時にしてはかなり大胆なアプローチもあったとか。マッサージ効果で血行もアップするので、受け終わった後は肌も気分もすっきり爽快です。
気になるお値段は、たとえば遠藤波津子の「理容館」の場合、約40分の施術で50銭。当時人気の高級白粉(おしろい)換算でちょうど2個分、今でいうと約1~2万円なので、一般女性にとってはかなりの贅沢です。そのためリピーターの多くは財閥や政治家など、上流階級の令嬢や夫人たちでした。男性客もいましたが、皆一様に後ろめたさからかコッソリ通うことが多かったようです。
長い間、女性たちは肌を白粉で美しくカバーし続けてきましたが、だからといって、昔の女性がスキンケアに興味がなかったわけではありません。美しい素肌を保つことに心をくだいていたのは江戸時代以前の女性も同じ。さまざまな試行錯誤を積み重ねた先で、明治の女性はまったく新しい「美顔術」というメソッドを手に入れたのです。パイオニアである遠藤波津子が提唱したのは「西洋式の新・美容法」。「真の美しさは、美しい素肌を手に入れることである」という考え方は、女性たちの心を惹きつけ、ゆっくりと浸透していきます。
こうして“素肌美”に目覚め、エステに通い始めた女性たちですが、実のところ化粧よりも手間と時間とお金がかかるかもしれないことは、現代を生きる私たちにも身に覚えがあるはず。美に対するモチベーションを180度転換させ、さらに未知のエステにも果敢にトライしていった明治の女性たちの勇気と革新性を思い知らされます。
施術は主にハンドマッサージだが、カッピングカップスやマッサージローラーなどの器具を併用することもあった。肌に微細な刺激を与える電動バイブレーターをはじめ、電気を使う道具も導入が始まっていた。『欧米最新美容法』東京美容院編/1907年(明治40年)
明治時代の婦人記者による美顔術体験レポート。マッサージクリームの使用前後の色を比べ「こんな灰色になるほど、私の顔にはゴミやホコリが入っていたのか」と驚いている。左頁には挿絵イラストとともに遠藤波津子の顔写真。『婦人世界 臨時増刊号 化粧かがみ』/1907年(明治40年)
取材協力:ポーラ文化研究所 学芸員 富澤洋子
ポーラ文化研究所は、化粧を美しさの文化として捉え、学術的に探求することを目的として1976年に設立。以来、化粧文化に関する研究活動を行い、ホームページや出版物、調査レポート、展覧会などのかたちで情報発信しています。

https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture
Text by GOROKU Miwa
Edit by HATTORI Madoka
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