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オノ・ヨーコが『イマジン』に与えたもの

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1971年1月29日、英国バークシャー州の、とある大邸宅に届いた1通の大型荷物の配送確認書。その明細に記されていたのは、白く塗装されたグランドピアノ1台、価格は1,891ポンド(当時の為替で約160万円)。それは、購入者が妻に宛てた誕生日プレゼントでした。同じ年、そのピアノを演奏する彼の姿を写した写真は、ニューアルバムの特典ポスターに使用され、さらに記念すべきミュージックビデオにも登場することになります。このピアノが今ほど有名になったのは、1971年5月、ジョン・レノンがLP『Imagine(イマジン)』のタイトルソングのレコーディングに使用したからとも言われています。
このSTEINWAY & SONS(スタインウェイ&サンズ)からの配送確認書は、ジョン・レノンの最も有名で最も愛されていると言えるソロアルバムの、制作過程の詳細をまとめた豪華なスクラップブック『Imagine John Yoko』に掲載されています。ビートルズマニアにとってはたまらない1冊です。ホテルの便箋に記された手書きの歌詞、ジョンとヨーコが住んでいたティッテンハースト・パークの自宅や庭の詳細な見取り図、注釈付きのオーディオテープのボックスセット、鉛筆描きのスケッチ、ポストカードのほか、自身の平和キャンペーンの只中にジョンが書いた2通の手紙が掲載されています。これらはどちらも抗議の手紙で、1通はニューヨーク・タイムズ紙の記者、クレイグ・マグレガー氏による「ビートルズは黒人音楽を模倣し搾取した」という告発に反論するもので(「搾取ではなく“ラブ・イン”だ」という内容)、もう1通は、ビートルズの解散後しばらくして、ポール・マッカートニーとその妻リンダ宛に怒りを込めて書いたものです(「君の手紙を読んで……」と書き出し「いったいどれだけ不機嫌な中年のビートルズファンが書いたものだろうと思ったよ」と綴っています)。
このスクラップブックには、かつてトークショーでジョンとヨーコにインタビューしたマイケル・パーキンソンやディック・カベット、そして彼らと共に座って話すバンドメンバーやセッションプレイヤー、スタジオアシスタント、さらにフィル・スペクターをはじめとするプロデューサーたちなど、さまざまな顔触れのインタビュー内容も数多く掲載されています。また、ジョンの長男であるジュリアンが登場する感動的なパートもあり、そこではジュリアンが、音信不通の期間を経て父にカントリーハウスに招かれ、一緒にボートに乗り、ドクターペッパーを飲み、メロトロンを演奏したときの喜びを回想しています。そんな思い出には大邸宅前の湖で父親と息子、継母ヨーコと撮影したポラロイド写真が添えられています(「父が本当に久しぶりに電話をくれたんだ……すごく嬉しかったよ」)。
さらには、戦争ノイローゼを患ったベトナム帰還兵であり、ティッテンハースト・パークに電報を送り続けたのちに、ジョンとヨーコの家の庭の繁みにまで現れるようになった一人のビートルズファン、クラウディオを、ジョンが時折、家に招き入れてしまうエピソードも紹介されています(本の中でヨーコはこう振り返っています。「ティッテンハーストでは、特別な警備は敷いていませんでした。ジョンはいつも彼みたいな人たちに対して責任を感じていました。彼らのような人たちは、自分の楽曲がもたらした「結果」だと考えていたのでしょう」)。
そして何よりもこの本には、ジョンとヨーコの創作活動の軌跡とともに、「愛」という強い絆が描かれており、特に、ヨーコの創造性へのアプローチが、いかにアルバム『イマジン』の誕生につながったかが垣間見えるのも注目すべきポイントです。もちろん、そのタイトルにまつわるエピソードも紹介されています。“Imagine”という言葉は、ヨーコが1960年代に自身が手掛けたコンセプチュアルアートの作品群に用いていた言葉で、これらの作品群は、1966年、ロンドンのインディカ・ギャラリーでジョンが初めてヨーコに出逢った夜に目にしたものとしても有名です。この本の見開きページで特集されている1980年のBBCのインタビューで、ジョンは「あの頃の僕は少し自分本位で、男性主義だった… …だからヨーコの貢献について触れることを怠けてしまったんだよ」と語り、同アルバムのタイトル曲のクレジットに、ヨーコの名前も掲載すべきだったと話しています。そして2017年、全米音楽出版社協会によってクレジットは変更され、共作者としてオノ・ヨーコの名前が加えられました。ジョン・レノンの作品に、オノ・ヨーコが大きな影響を及ぼしていたことが再評価される時代が来たのです。そしてこの本は、その事実がさらに周知されるきっかけにもなるでしょう。
85歳になった現在も、かつてジョンと暮らしたニューヨークのダコタビルに住んでいるヨーコは、ある秋の日に、この本についての質問に快く答えてくれました(Eメールでのやり取りでしたが、追加質問を行う機会は与えられておらず、返信についてインタビュアーがさらに詳細を掘り下げることはできない格好です)。オープンで多岐にわたる私の質問に対し、彼女は、彼女のアートが概してそうであるように、考える余地と含みを残した、シンプルで気の利いた短文で返してくれました。たとえば、当初、アルバムのクレジットから彼女の名前が外されていた理由については、「私たちは、ジョンの名前で出すほうがいいと考えたのです。楽曲は時に、それ自体が強い力と意味を持つことがあるから。そして『イマジン』は間違いなく、当時はジョンの名前で出したほうがいい作品でした」と答えてくれました。また、本の中で「重たい雰囲気があった…… 一人の若者には重すぎるような……」と表現していたジョンとの初めての出逢いについての質問には、「私たちは二人とも、本来あるべき姿に比べて重すぎたのです」と、まるで詩のような返事が送られてきました。
この本によれば、二人が感じていた自分たちの「あるべき姿」とは、他のどんな懸念にも揺らぐことのない平和活動家としての姿でした。しかし、前年の春にビートルズの分裂が公になったばかりの1971年初頭において、そうあることは容易ではありませんでした(1969年9月、ジョン・レノンが先に脱退を宣言していましたが、その事実は伏せられ、1970年4月にポール・マッカートニーが脱退を表明したことが公になりました)。1970年12月31日、白いピアノが注文されるおよそひと月前に、ポールはバンドメンバーを相手取り、ロンドン高等裁判所にバンドの共同経営関係の解消を求める訴えを起こします。言わば、この訴訟が進行するのと時を同じくして『イマジン』もまた、その形を帯びていったのです。日付こそ書かれてはいないものの、まさにその期間に、ジョンがタイプライターでポールとリンダに宛てて書いた手紙が掲載されているというのも、この本の見どころの1つです。
この手紙の中でジョンは、ビートルズの初期の時代について否定的に語るとともに(「あの頃のビートルズを恥じているわけじゃない。まさにすべての原点だから。でも、バンドを大スターに押し上げるためにやりたくないこともやったんだ」)、自分に脱退を発表しないように勧めてきたポールと経理担当者のアラン・クラインに対して怒りをあらわにしています(「ミセス・マッカートニー…… 卑劣な奴らが、僕に脱退を公言しないよう求めてきたんだ」)。そんな怒りが、ポールを痛烈に批判した、アルバム『イマジン』の中の一曲「How Do You Sleep?(ハウ・ドゥー・ユー・スリープ?)」で噴出したことは有名な話です。ヨーコへの質問では、このことについても訊いています。あんなにも平和を訴えて制作したアルバムの中でそのような怒りを表現したことについて、今ならどう思うかと。彼女の答えはこうでした。「私たちは、自分たちが“平和を愛するだけの人たち”なんて言ったことはありません。私たちの中にもさまざまな性質が共存していたのです」。
この本には、ジョン・レノンがかつて複数の女性を殴ったことがあると告白したことも書かれています。これについてヨーコは、多くの暴力的な人が平和に引き寄せられている、と付け加えています。そのような面を自身が持っているかという問いについては「私は自分のことを暴力的な人間とは思っていません」と答え、「その理由の1つとして、女性は暴力的にならないように慎重に振る舞う必要があるから」と続けています。本の中では、楽曲「Jealous Guy(ジェラス・ガイ)」についても触れられており、同曲は、嫉妬をよりポジティブな感情へと転化させようとするジョンの試みだったことが明かされています。「『嫉妬』の代わりに『共感』という言葉を使えば、誰もが問題を抱えずに済むようになるはず」とヨーコは現在の考えを綴っています。
芸術面に限らず、ジョンが彼女に依存しすぎていたと感じたことはないとヨーコは言います。「ジョンは偉大なアーティストで、偉大なミュージシャンでした。私たちは二人とも仕事の速い作曲家だったから、そうなりたいと思えばいつでも互いに依存する必要がない関係でいられたのです。」それでも二人は、自分たちを適切に表現できていると感じられる楽曲しかリリースしなかったそうです。そして、それこそが創作意欲の源であったのではないでしょうか。「私たちは、自分たちが愛せない楽曲を世に送り出すなどあり得ないと考えるタイプの人間でした。お互いへの愛情と楽曲への愛情は、いつも切り離せないものだったのです」とヨーコは振り返ります。
半世紀近くが経った今もなお、ジョン・レノンは確かにオノ・ヨーコのそばにいるのでしょう。では、現在のヨーコにとって“Imagine”という言葉はどのような意味を持つのでしょうか。その問いに対して彼女は、シンプルに、そして力強く答えてくれました。「それは、叶えたい願いを思い浮かべるということ」。
この記事は、The GuardianのJude Rogersが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。​
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