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生物史を一新した化石ハンター、メアリー・アニング

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進化生物学や古生物学、地質学といった学問の起源を考える時、私たちはどうしてもチャールズ・ダーウィンを筆頭に、脊椎動物古生物学を創始したジョルジュ・キュヴィエ、それから地球の歴史に対する理解を覆したチャールズ・ライエルといった19世紀の学者たちを思い浮かべてしまいます。その時代には当然と言えるのでしょうが、こうした大物学者たちは揃って男性ばかりです。当時、科学的な分野で活動したいと願っていた女性たちはみな、裏方に回るしかありませんでした。たとえ重要な発明や発見をしたとしても、その功績を認められることはなかったのです。

それはメアリー・アニングにも言えることでした。まだ恐竜がどんなものであるのか誰も知らなかった時代、彼女はイギリスの自宅近くで恐竜の化石を発見したのです。それは向こう何十年にも渡る議論の火付け役となり、地球上の生物はどのくらい古くから存在するのか、化石生物はどのように発生したのか、また、最終的に人間はこの多種多様な生物群のどこに属しているのかなどが論じられるようになりました。2018年の5月21日で生誕219年を迎えたアニングですが、存命中には特にその貢献を認められることもなく、報酬を得ることもありませんでした。それでも今では多くの人が彼女を「世界で最も優れた化石科学者」だとして高く評価しています。

ファミリー・ビジネス

そんなアニングの話はひとつの悲劇と思いがけない幸運とで始まります。まだ彼女が生まれる前のこと、父親のリチャード・アニングはイギリスにある町ライム・リージスに拠点を移し、パートタイムで化石の販売を始めました。ライム・リージスは、その青く灰色がかった色相からブルーリアスと呼ばれる層状粘土と石灰石鉱床からなる岸壁に沿って位置しています。粘土の層はとくに濡れることで変化を受けやすく、海の波や沿岸の暴風雨によって大きく侵食されます。2億年から1.5億年前にパンゲアが亀裂し始めた時代、その地域は拡がり続ける海底に浅く作られた岩棚でした。そこに生物の骨や貝殻などが集まり、埋められていったのです。リチャード・アニングはのみと金槌を手に海辺をくまなく探索し、恐竜の時代以来、泥板岩に閉じ込められていた軟体動物や甲殻類をいくつも掘り起こしていました。

アニング家の子どもメアリーと兄のジョセフが大きくなると、父リチャードは二人を化石探索に連れ出しましたが、母親はいい顔をしませんでした。不安定な粘土層のために崖は岩崩れを起こしやすく、その辺りは危険な場所だったのです。心配は的外れではありませんでした。リチャードは化石の販売のために近くの町へと移動中、足を踏み外し崖から転がり落ちてしまったのです。転落事故で致命傷は追わなかったものの、彼の健康状態はそれから2年の間に悪化し、ついに1810年の秋に亡くなりました。メアリーは自分の幼少期を形作った先導的な存在を失いましたが、それでも彼女のなかに植え付けられた博物学への愛は生涯消えることはありませんでした。

少女が見つけた奇妙な生物

リチャード・アニングが亡くなった直後の数年間、残された三人の家族は厳しい生活を送ることになりました。父親には120ポンドの借金があり、それは当時の価値で凄まじい金額でした。確実な収入源もなく、家族は飢えをしのぐために、福祉の形態のひとつである行政サポートに頼らなければなりませんでした。ジョセフ・アニングは15歳になると町で家具職人見習いとして働き始め、化石発掘にかける情熱も終わりを迎えることになりました。それでも見習い修行にすべてを捧げるようになる前、彼は一生に一度の発見をしたのです。海岸沿いでさらされた岩を調べている際、ジョセフはワニのように見える巨大な頭蓋骨を見つけました。しかし彼には化石化された残りの体を探す時間がなかったため、妹にその役目を任せたのです。

アニングは成果があげられないまま、それでも近くの崖を1年かけて調査しました。そうした粘り強さは彼女の不屈の精神をはっきりと示していますが、それは幼い少女時代から変わらないものだったのです。その生物の胴体の一部が現れたのは、激しい嵐が訪れてからのことでした。嵐がさらされていた岩の粘土と石灰岩を削っていたのです。続く数ヶ月、地元の人たちの助けを得て行った発掘により、アニングは細長い首、ひれ足、そして脊椎骨からなる、およそ5メートルに及ぶ化石を発見しました。そうした特徴は、魚というよりも、現代のトカゲに多くの共通点があるものでした。化石は発見された土地の持ち主に売却されました。このような化石が発見されたのはまだ三度目のことでしたが、地主の判断でロンドン博物館に売却されたことで、アニングの化石は世界有数のものとなりました。

当時、多くの科学者たち、そして一般人のほぼ全員が、地球は6000年前に神によって創造され、その情け深い神が生物を絶滅させることなどありえないと信じていました。トーマス・ジェファーソンは大統領としての在職期間中、ホワイトハウスにマンモスの化石を飾っていたのですが、その後ルイス・クラーク探検隊を派遣したのは、マンモスが今も生きていることの証拠を持ち帰らせるためでもあったと言われています。アニングが発見した生物はギリシャ語で「魚」と「トカゲ」を意味するイクチオサウルスと名付けられ、以降、今まで知られていた知識が間違っていることを証明していく証拠のひとつとなったのです。

世界で最も優れた化石ハンター

それから20年もの間、アニングはブルーリアスで絶滅した生物たちを発掘し続けました。その中には翼竜の新種(他には数年前にドイツで発掘されただけでした)や、極端に長い首に小さな頭蓋がついた、これまで未発見だった首長竜と呼ばれる水生爬虫類も含まれ、その他にも様々な種類の絶滅した魚や無脊椎動物の化石がありました。

このように科学に大きな貢献を残したものの、19世紀のイギリスに生きたアニングは、一度も自分で論文を発表することはできませんでした。彼女の発見にまつわる論文を発表した科学者たちは、プライベートでは彼女と友情関係にありましたが、論文や演説でアニングについて触れることはほとんどありませんでした。

とはいえ、メアリー・アニングは生きているあいだにもよく知られた存在ではあったのです。しかし、のちにチャールズ・ディケンズが書いているように、地元の人たちが彼女を評価していたのは、観光客や著名人を引き寄せてくれるというだけの理由だったとも言われています。アニングのことを最も理解していた研究者たちは、その功績こそきちんと認めることはありませんでしたが、彼女がお金に困り、経済的な困窮により発掘を続けられなくなったりしないように常に配慮はしていました。

しかし最も精力的でいられたはずの40代半ば、アニングは乳がんにかかり、2年間闘病したのち47歳でこの世を去りました。そして今、過去を捉え直す機会を得たことで、地球生物に対する私達の考えを変えるきっかけを与えてくれた人物として、メアリー・アニングはようやく科学界でその功績にふさわしい評価を与えられることになったのでした。
この記事の初出はMassiveです。

この記事は、SalonのJerald Pinsonが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。
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