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世界一静かな部屋で気づいた、音の楽しみ方

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世界の人口の半分以上が街や大都市に住んでいる現在、人々はますます静寂を求めるようになりました。騒音の公害が頻繁にニュースになり、ノイズキャンセル機能付きのヘッドホンから、沈黙瞑想のリトリートまで、平穏と静寂を求める人のニーズに応える産業が出現しました。
作家たちまでもが、この流行に便乗しているようです。禅僧ティク・ナット・ハンの「Silence: The Power of Quiet in a World Full of Noise」(2016)や、ノルウェー人探検家アーリング・カッゲの「Silence : In the Age of Noise 」(2017)は、近年ベストセラー入りを果たしています。
それでも私自身は、静寂を求めることにどれほどの意味があるのか、あまり理解できません。森に入れば虫たちのブンブンという羽音が聞こえてきますし、荒涼とした山腹では、ささいな音でも増幅して聞こえるものです。人気のないビーチでも、波の音が絶えることはありません。おそらく、静寂というものは存在しないのです。
それこそが、実験音楽家ジョン・ケージが証明しようとしたことでした。
ケージがそのことに気づいたのは、1951年にハーバード大学の無響室を訪れた時のことでした。その無響室は、第二次世界大戦中にアメリカ空軍の指令により建設されました。当初の使用目的は、当時使われていたピストンエンジンの爆音により、爆撃パイロットが受けたダメージを解消する方法を探るためでした。外壁を分厚いコンクリートで覆うことで外部の音を遮断し、さらに内側の壁に2万枚もの繊維ガラス製のウェッジ(吸音くさび)を配置して反響を抑制したその無響室は、地球上で最も静かな場所だと言われていました。それにもかかわらず、ケージはその部屋で二つの異なる音を聞いたと言っています。そのうちの高い方は自分の神経系が働いている音、低い方は血液が循環している音でした。
十代の頃、ケージのその体験について読んで以来、私はずっと無響室に魅了されていました。それは私だけではありませんでした。ケージと同じ体験をしたいと思った人たちは、これまでにもたくさんいたのです。体験した人のなかには、ケージが聞こえた音に疑問を持った人もいれば、完全な静寂との出会いによって正気を失いそうになり、幻覚が見えたという人までいます。
そこで私も体験しようと決心し、科学と芸術に貢献するニューヨークの名門私立大学クーパー・ユニオンにある、無響室のツアーに参加できることになりました。無響室はキャンパス内の振動音響研究所にあり、ニューヨークでは唯一のものです。
私とパートナーは、マーティンローレス博士の親切な案内を受けました。博士はコンサートホールの音響が脳の情緒反応に与える影響について研究しています。すでに取り壊されているハーバードの無響室より、はるかに小規模であるものの、クーパー・ユニオンの無響室にも同様に繊維ガラス製のウェッジが使用されていました。
ウェッジは部屋のすべての側面、私たちが立っている金属製の床格子の下まで個別に設置され、音波が発生源に跳ね返るのを防止しています。さらにこの部屋は分厚い壁に覆われ、宙吊りになっているため、外部の音は完全に遮断されています。たとえ火災報知器が鳴ったとしても、音は中にいる人の耳には決して届きません。
私たちはこの防音効果を試してみたくなり、交代で外に出て甲高い叫び声をあげてみましたが、確かに何も聞こえませんでした。
部屋に入ってしばらくすると、私はケージの主張の正しさを体感的に認めることになりました。確かに無響室は、静寂のための場所ではないのです。ケージと同様、私はふだんなら聞こえない音−−−かすかな耳鳴りとパートナーの呼吸音−−−にすぐに気が付きました。
静寂などありえないというケージの気づきは、彼の音楽美学全域に渡って重要なテーマになりました。ケージの最も有名とされている作品は、演奏者が4分33秒間、何もせずに静かに座っているというものです。保守的な音楽評論家たちには嘲笑されましたが、この『4分33秒』という作品は、「芸術」音楽はかしこまった静けさの中で聞くべきという近年の音楽の慣習に対する、痛烈な批評だったのです。音楽が演奏されないことで、観客は静寂に耳をすますことを促されます。結果として、この作品は私たちに美しい音で構成された交響曲を発見する機会を与えてくれるのですが、それは、外から聞こえてくる交通音や、他の観客の咳払いかもしれないのです。
しかし同時に、私はケージが無響室の最も重要な特徴を見逃しているのではないかと思い始めました。彼はそこにあったはずのものよりも、そこで見つからなかったもの、つまり静寂の方に注意を引かれていたのでしょう。そこにあったはずのもの、それは反響のないことで生じる著しい音の変化でした。たとえば金属が金属に当たる時、ふつうはカチンという音が聞こえますが、ここでは鈍い音に聞こえます。それはまるで、木片がフェルト生地にあたったような、こもった音でした。同じく、拍手をしても音に活気が感じられません。
それはまるで自分が、シュールレアリズムの映画の中にいるような体験でした。自分が当然そう聞こえるだろうと思っていた音に、新しい音を吹き替えられてしまった感覚です。とはいえ、パニック発作に襲われたり、幻覚を見るなど、私が以前読んだようなとっぴなことは起きず、特別な恐怖を感じることもありませんでした。それでも、この体験はなんとも不思議で、間違いなく孤独なものだったと言えます。
無響室で過ごしたことではっきりとわかったことは、私たちの耳に入ってくるほとんどの音が、間接的なものだということでした。音は、周囲のものや人々に反響してから私たちの耳に入るのです。音というのは共有体験であり、そもそもの音を生み出した要因だけでなく、私たちが暮らしている環境がもたらしてくれるものなのです。無響室は私たちに、何も反応のない世界に住むことがどういうことなのかを教えてくれます。その孤独な世界では、音は何の応答も得られずに、ただ消えてなくなるだけでしょう。
外に出てから数分後、私はふたたびロウアー・マンハッタンのクーパー・スクエアに立ち、大都市の音に浸されていました。それでも以前ほどは気になりません。バワリーを猛スピードで走り抜けていくトラックの轟音も、道路の両脇に建つビルにぶつかって私に跳ね返された反響音だと思い、私は耳を傾けたのでした。
脇道に入ると、いっそう繊細な世界が広がります。私は鳥たちのさえずりが、硬い敷石やブラウンストーン造りの家の外壁に反響していることに気づきました。静寂を求めることなど不可能だ、というケージの指摘は正しかったと思います。しかし無響室が教えてくれるのは、大都市のランドスケープに対する私たちの認識を絶えず更新してくれる、こうした反響音の味わい方なのではないでしょうか。
この記事は、The GuardianのAlex Wragge-Morleyが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。
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