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人と機械がともにアートを生み出す時

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BEN STANSALL/AFP/Getty Images
BEN STANSALL/AFP/Getty Images

執筆から運転まで、AIは私たちの日常のより多くの場面に取り入れられるようになりました。そんななか、アーティストたちが人工知能を表現手法に取り入れるようになったのも、自然な流れだと言えるでしょう。

 

事実、オークションハウスの「クリスティーズ」は、201810月に初のAIアート作品を出品しています。輪郭のはっきりしない、ぼやけた顔が描かれたその作品には「エドモンド・ベラミーの肖像」というタイトルがつけられています。

 

クリスティーズで落札された作品を含め、機械学習を用いて制作されるアートがAIの新しい潮流を生み出しています。パリを拠点にするアーティスト、ウーゴ・キャッセル・デュプレ、ピエール・フォートレル、ゴティエ・ヴェルニエの3人は、アルゴリズムに何千もの肖像画のデータを与え、AIに過去の肖像画法の美学を「教え込み」ました。その結果生み出されたのが、「エドモンド・ベラミーの肖像」です。

 

クリスティーズはその告知ページに、この作品は「人間の心が生み出したものではありません。これは人工知能、つまり代数的な公式で定義されたアルゴリズムが制作したものです」と記載しました。

 

人工知能を使って画像を制作した場合、最終的な作品を芸術作品と見なすことはできるのでしょうか? また、最終的な作品にアーティストが与えるべき影響の最低基準を設定する必要はあるのでしょうか?

 

ラトガース大学のアート&AIラボのディレクターとして、私は以上のような疑問に取り組んできました。具体的に問題となっているのは、アーティストが機械に作品のクレジットを譲渡すべきポイントです。

 

機械がアートクラスの一員になる

 

過去50年のあいだ、数名のアーティストたちがアートを制作するためのコンピュータプログラムを組んでいます。私はそれらのアートを「アルゴリズミック・アート」と呼んでいます。その場合、アーティストは実際の視覚的イメージの結果を念頭に置き、詳細なコードを書く必要が出てきます。

 

このフォームを実践した先駆者の一人に、AARONというプログラムを書いたハロルド・コーエンがいます。AARONは、コーエンが事前に作成した一連のルールに従い画像を作り出しました。

 

しかし、ここ数年の間に登場したAIアートには、機械学習の技術が組み込まれているのです。

 

アーティストは、一連のルールに従うアルゴリズムではなく、何千もの画像を解析することによって、特定の美学を「学習」するアルゴリズムを作っています。その後、アルゴリズムは学習した美学を忠実に守りながら新しい画像を生成しようと試みるのです。

 

はじめに、アーティストはアルゴリズムに与えるための画像のコレクションを選択します。私はこのステップを「プレ・キュレーション」と呼んでいます。

 

ここで例として、アーティストが過去500年分の伝統的な肖像画を選んだとしましょう。

 

ここ数年の間に現れたほとんどのAIアート作品には、「敵対的生成ネットワーク」と呼ばれるクラスのアルゴリズムが使われています。これらのアルゴリズムは、2014年にコンピュータ科学者のイアン・グッドフェローによって初めて紹介されました。「敵対的」という言葉が使われているのは、それが2つの面を持っているためです。つまり、ランダムなイメージを生成するアルゴリズムに対して、生成された画像をジャッジし、過去にインプットされた画像と照らし合わせてどれが最も合致するかを判断する方法を学習するアルゴリズムがあるのです。

 

さて、与えられた画像を模倣しようとする生成アルゴリズムに、ここで500年分の肖像画を与えたとします。するとアルゴリズムはさまざまな新しい画像を生み出すことになるのですが、その際アーティストはそれらのイメージをふるいにかけ、自分が使いたいイメージを選択することになります。私はこのステップを、「ポスト・キュレーション」と呼んでいます。

 

ですから、そこには創造性の要素があるのです。アーティストは、こうしたプレ/ポスト・キュレーションに大きく関わることになります。それだけでなく、必要に応じてアルゴリズムを微調整し、欲しいと思う画像を生成させることもできるのです。

 

素敵な偶然か、単なる誤作動か

 

生成アルゴリズムは、プロセスを統括しているアーティストでさえも驚かせるイメージを作り出すことがあります。

 

例えば、肖像画のデータを与えられた敵対生成ネットワークが、一連の変形した顔の肖像画を生み出すこともあるのです。

 

この事実をどう受け止めたらよいのでしょうか?

 

心理学者のダニエル・E・バーラインは、数十年にわたって美の心理学を研究してきました。バーラインは、斬新さ、驚き、複雑さ、曖昧さ、そして奇抜さが、芸術作品を最も刺激的にしている傾向があることを発見しました。

 

敵対生成ネットワークが作り出した肖像画の顔はすべて変形しており、それは確かに斬新で、驚くほど奇妙に見えます。

 

それらの画像はまた、イギリスの抽象画家フランシス・ベーコンが描いた有名な肖像画で、歪んだ顔が描かれている『ヘンリエッタ・モラエスの肖像のための3つの習作』などの作品を思い起こさせます。

 

しかし、機械が描いた歪んだ顔には欠けているものがあります。それは意図です。

 

ベーコンは意図的に歪んだ顔を描きましたが、AIアートの例で見られる変形した顔は、必ずしもアーティストや機械が狙っていたものではありません。私たちがそこで目にするのは、機械が人間の顔を正確に模倣できず、代わりに驚くほど奇妙な形を吐き出したという事実です。

 

しかし、クリスティーズがオークション出品したのは、まさにこうして作られた作品なのです。

 

コンセプチュアル・アートというカテゴリー

 

このように生み出された作品には、本当に意図がないと言えるのでしょうか?

私がここで主張したいのは、たとえ最終的な画像に現れていないとしても、その制作プロセスには意図があるということです。

 

ひとつの例を挙げてみましょう。アーティストのアンナ・リドラーは、エドガー・アラン・ポーの短編を元にした1929年の映画『アッシャー家の崩壊』の静止画像を用いて、同タイトルの作品を制作しています。リドラーは静止画像を使って墨絵を描き、それらの絵を生成モデルに読み込ませました。そうしてアルゴリズムが生み出した新しい画像をリドラーが編集し、短編映画にまとめ上げたのです。

 

また別の例として、マリオ・クリンゲマンの「ブッチャーの息子」という作品を見てみましょう。裸体が描かれたその作品は、棒線画とポルノグラフィー画像を与えられたアルゴリズムが生成したものです。

 

この2つの例は、アーティストがAIツールを使ってありとあらゆる方法を試すことができる可能性を示しています。たとえ最終的な画像がアーティストの予想に反するものであっても、それらはどこからともなく出現したわけではありません。作品の背後にはプロセスがあり、そこには確かに意図の要素が含まれているのです。

 

それにもかかわらず、AIアートに懐疑的な意見を持つ人は多くいます。ピューリッツァー賞受賞の美術批評家ジェリー・サルツは、「ブッチャーの息子」を含め、AIアーティストたちが作る作品は単調で退屈であると述べています

 

そうした意見が正しい場合もあります。たとえば歪んだ肖像画を見て、そこまで興味深いものではないと主張することもできるでしょう。思わぬひねりが加えられていたとしても、それらの最終的な画像はプレ・キュレーションでインプットされた画像の模倣に過ぎないのです。

 

しかし、問題になるのは最終的な画像だけではありません。そこには創造的なプロセスが含まれています。革新的な方法で新しい視覚形態を探るために、アーティストが機械と共同して働くプロセスです。

 

こうした理由から、私はこれらを間違いなくコンセプチュアル・アートだと考えます。コンセプチュアル・アートは1960年代に確立された芸術運動で、完成された作品よりもその制作プロセスを重視します。

 

サルツは退屈だと一蹴しましたが、「ブッチャーの息子」は、テクノロジーを用いて制作されたアートに贈られるルーメン賞のグランプリを獲得したばかりです。

 

たとえ批評家がその流れを否定しようとも、AIアートは私たちの暮らしにすでに浸透していると言えるのではないでしょうか。

 

この記事の初出はThe Conversationです。

この記事は、SalonAhmed Elgammalが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。

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