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連載 ニッポン化粧ヒストリー
第3回 時短メークの心得 <大正末~昭和の職業婦人たち>

日本の化粧カルチャーにおけるユニークな風習や技術から、毎回ひとつのテーマを掘り下げてご紹介する本企画。第3回は「時短メーク」がテーマです。かつての江戸の女性たちは、理想の素肌美を手に入れるため、多大な時間と労力をメークに費やしていました。それが大正末~昭和初期になると、手軽であること、短時間で工夫することも大切であるという意識へと変わっていきます。当時の時代背景を鑑みながら、近代日本の「時短メーク」の成り立ちと、具体的なアイテムをご紹介します。
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近代日本の粉おしろい

“スピード化粧”を生んだクリームと粉おしろい

奈良時代より女性たちは化粧による美を追求し、おしろいで顔を白く塗ってきました。江戸時代に入ると安価な鉛おしろいが登場し、広く庶民にも浸透していきます。当時のおしろいは水で溶いてつけるのが特徴で、何種類もある刷毛を駆使し、顔から首、耳、胸元まで塗るのが肝要とされていました。
水溶性のおしろいをムラなく塗るのは大変です。少しずつのばして手ぬぐいで拭ったり、粉のままはたいたり、紙でおさえたり……きれいに素肌感のある肌をつくるのは手間のかかる作業でした。

一方、明治時代に新しいアイテムとして登場したクリーム。当初は輸入品ゆえの高級品扱いでしたが、明治の半ばには国産品も次々に誕生し、手軽に使えるようになっていきました。
化粧の必需品として、新旧の化粧道具が紹介されている。『化粧美学』三須裕著/都新聞社出版部、1924年(大正13年)
(左)レート頬白粉/平尾賛平商店、1925年(大正14年)発売  (右)リリスフェイスパウダー。裏面には「肌(=肌色)」と書いてある(リリス化粧園、昭和頃)
そして大正時代末期、クリームを塗った上にパフで粉おしろいをはたくというベースメーク法が確立されて大流行。外でのお化粧直しもぐっと楽になり、携帯用コンパクトという新たなマストハブアイテムが誕生します。これにポイントメークとヘアセットまでを合わせてトータルで指南する化粧のハウツーは、「スピード化粧」「早化粧」といったキーワードとともに、雑誌の人気企画のひとつとなりました。
服装はまだまだ着物が主流ですが、髪型だけ洋風にアレンジしたり、新しい化粧品や化粧法を取り入れたり。雑誌の普及も追い風となり、現代につながるメークアップの原形ができあがっていきました。
昭和初期の職業婦人の朝のお化粧。肌を整え、眉、口紅、頬紅を加え、髪のセットまでトータル3分で済ませる手順を紹介。出典元:『婦人画報』1935年3月号(現ハースト婦人画報社刊)

3分間メークでいざ出勤

当時の婦人雑誌を開くと、化粧品の広告やタイアップ、通販など、化粧の情報もぎっしり。本格的な戦時体制が確立される直前の1937年(昭和12年)頃まで、ページ数はどんどん膨れ上がり続けます。誌面には働く婦人たちが登場し、女性たちの間では仕事に就くことへの憧れが芽生え、デパートガール、タイピスト、電話交換手などが人気を集めました。職業婦人と呼ばれた彼女たちの平均勤続年数は約2年との記事もあり、男性社会とはすみ分けされた世界でしたが、それまで家の中にこもっていた女性たちが、外の世界へと目を向けて、自らアクションを起こすようになった時代です。ウィンタースポーツという横文字とともにスポーツブームが到来し、おしゃれなスポーツウエアや洋服への興味もどんどん広がっていきます。
コンパクトは、職業婦人のマストハブに(昭和10年頃)。価格的に手が届かないものではなかったが、化粧品を買ったらシネマは我慢、お弁当は必ず持参といった工夫でやりくりしながら、おしゃれを楽しんでいた。中身はおしろいとパフ、上段には紅などもセットされている。

リップスティックの衝撃

今でいう化粧下地としてクリームを塗って上からおしろいをはたき、眉墨で眉を描き、口紅と頬紅で血色を足す。この基本ステップは大正時代からずっと変わりませんが、次第にバリエーションが広がって、ライフスタイルや個人の好みに合わせた化粧法が出てきました。
職業婦人のメイク直し。ランチタイム後にコンパクトの鏡を使い、“ルーヂュ”を塗り直している。「お昼時、トイレットで大騒ぎをしてお化粧などなさらずに口紅とヴアニシング・クリームとコールド・クリームを入れた小さな容器と、コムパクトがあれば簡単に、たつた一分間でお済みになります。」出典元:『婦人画報』1935年3月号(現ハースト婦人画報社刊)
リップスティックは1918年(大正7年)に初の国産品が登場。「棒紅」と呼ばれ、昭和に入ると商品の選択肢はさらに広がり、多くの女性が気軽に使えるようになりました。塗り方もいわゆる“おちょぼ口”ではなく、本来の唇に沿って塗るのがよしとされ、メーク法にも変化が訪れます。

新カテゴリーの登場“アイメークとネイルケア”

昭和に入って新たに注目を集めたメーク法といえば、アイメークとネイルケアです。当時の化粧品業界向けに発行されていたアニュアルレポートを辿っていくと、1933年(昭和8年)のレポートに“目の化粧”“ビユウラ(ビューラー)”“アイシャドー”といったワードが登場します。和服ではなく洋服に似合う化粧法として人気を集めるかと思いきや、どうやら実際にチャレンジできた人は少数派のよう。現代のような一大カテゴリーとなるには、戦後まで待たなければいけません。
キューテックス携帯用マニキュアセット(Northam Warren、1920年代頃)。当時の爪化粧といえば、色を塗るラッカーではなくお手入れのこと。日本の女性雑誌などでも取り上げられた。
いまや効率重視のイメージが先行する“時短”ですが、昭和初期における“時短”とは、最先端のアイテムを使ってかなえる新しいスタイルであり、多くの女性たちが憧れ、実際に手が届くようにもなって、広く楽しまれたものでした。戦争の間、化粧はいったん影を潜めますが、戦後は経済成長を背景に女性たちのメーク熱も再燃。各メーカーが続々と開発する成分訴求と相まって、日本のお化粧は独自路線を進みます。こういった背景により1980年代以後、世界が注目するユニークな化粧カルチャーが形成されていきました。
取材協力:ポーラ文化研究所 学芸員 富澤洋子
ポーラ文化研究所は、化粧を美しさの文化として捉え、学術的に探求することを目的として1976年に設立。以来、化粧文化に関する研究活動を行い、ホームページや出版物、調査レポート、展覧会などのかたちで情報発信しています。
公式サイト:https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture
Twitter:https://twitter.com/pola_bunken
Instagram:https://www.instagram.com/pola_cosmeticculture/

Text by GOROKU Miwa
Edit by HATTORI Madoka
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