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「自分らしさを忘れない」元世界チャンピオン女性サーファーの苦境と栄光

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あるスクールバスの運転手には秘密がありました。オーストラリアニューサウスウェールズ州、ビリナッジルの海岸沿いをうねりながら走る一台のバス。その乗客である生徒たちのほとんどは、運転手が元サーフィン世界チャンピオンだったことを知りません。

 

 

1993年には世界を股にかけて活躍するサーファーであったポーリーン・メンツァー。彼女はバスドライバーとしての現在の仕事にやりがいを感じています。ブランズウィックヘッド近郊でフィアンセのサマンサと一緒に暮らしているメンツァーは、引退したアスリートにはめずらしく思えるほど平穏な生活を送っています。

 

 

長い間その功績を認められることがなかったメンツァーでしたが、20183月、ゴールドコーストで行われた授賞式にてようやくサーファーとしての栄誉を手にすることになりました。授賞式では、2017年WSL(ワールド・サーフ・リーグ)女性世界チャンピオンであるタイラー・ライトその兄のオーウェンが男女それぞれ今年の最優秀サーファーの受賞者を紹介するなか、メンツァーのオーストラリアサーフィン界の殿堂入りも発表されました。たくさんの仲間たちが見守る会場で、メンツァーは自らの才能のみならず、その忍耐力が築き上げたキャリアへの正当な評価をようやく受けることができたのです。

 

 

式典では始終笑顔を絶やさなかったメンツァーでしたが、彼女の人生はその始まりから厳しいものでした。ニューサウスウェールズ州ブロンテでシングルマザーに育てられた4きょうだいのメンツァーは、13歳の時にサーフィンに夢中になります。高校時代はアルミ缶集めや、自作のケーキやキャンディを売ることで費用を稼ぎ、いくつもの大会に参加しました。

 

 

パワフルでエネルギッシュなスタイルが特徴の彼女は、1988年プエルトリコでの世界アマチュア大会に果敢に挑戦し、世界チャンピオンの称号とともに帰郷しました。わずか18歳でした。

 

 

その大会での成果が自信となり、メンツァーはプロを目指すことになります。そして南アフリカのウェンディ・ボサやオーストラリアのジョディ・クーパー、パム・パーリッジといった憧れの女性サーファーたちを目標に、コーチの指導を受け始めました。しかしその道は決して平坦なものではありませんでした。深刻な関節リウマチのためにひどく体調を崩し、たびたび車で搬送され、猛暑のさなか車椅子の上で休息する姿が目撃されたこともありました。また、サーフブランドが望む女性像に当てはまらなかったために、スポンサー契約がほとんど得られず、そこでも忍耐力を試されることになります。契約金をさらっていくのは、ブランドが求める美の基準に適合する女性たちばかりだったのです。

 

 

授賞式の翌朝、メンツァーはオーストラリア版ガーディアン紙に当時の状況についてこのように答えています。「私はそれほど気にしていませんでした。とても楽しい日々を過ごしていましたから。もしメジャーなスポンサーが付いていたら、自分らしく振る舞えなかったと思います。私は、たとえば自分が相撲力士の着ぐるみを着たいと思ったら、それを実行するタイプの人間なんです」。こうしたユーモアのセンスこそが、メンツァーの魅力の一つだと言えます。「でも、今ではずいぶんおとなしくなりましたよ」とメンツァーは笑います。「当時は違いましたけどね。昨晩は、まるで昔の自分に戻ったみたいでした!」。

 

 

世界チャンピオンシップツアーを引退した後も、メンツァーは様々な大会に積極的に出場し続けました。しかし少ない契約金がついに底をつき、好機にも恵まれず、彼女の輝かしいキャリアはないも同然の扱いになりました。故意ではなかったにせよ、彼女が公の場から姿を消さざるを得なかった一因には、サーフィン関連のメディアによる無関心があるはずです。すでにサーフィンの殿堂入りを果たしているサーファーの中には、現在大会に出場中の選手たちも含まれているのです。メディアの冷淡な対応についてどう感じていたか質問すると、メンツァーは確かにそうした状況があったと同意はしているものの、深入りしたくはないと慎重な様子を見せました。受賞スピーチの中で、メンツァーは過去のできごとはすべて「オーケー」だったと話しています。自分は多くをくぐり抜けてきたけれど、受賞するタイミングは今でよかったと。「もっと早くに受賞できなかったことを、気にしてはいません。(殿堂に)選ばれるのは毎年一人だけなのですから。でも、周りの反応には私自身も驚いています」。

 

 

とはいえ、現実ではすべてがクリアになったわけではありません。世界的に知られるサーフスポットであり、メンツァーの本拠地でもあったバイロンベイの「サーフ横丁」の壁に描かれている功労者リストには彼女の名前が記載されておらず、それが議論を呼んでいます。バイロンベイ世界チャンピオン山ほど輩出しているというのであれば、彼女の名前をうっかり入れ忘れたとしても納得ですが、実際にはそうではありません。この事実に対しても、メンツァーは受賞スピーチにて彼女らしいユーモアで応酬しています。「思い知った バイロンベイ! 殿堂入りの方がよっぽど良いでしょ!」

 

 

そして、後ほど触れますが#metooムーブメントによる女性の社会的地位の変化は、サーフィン界にはまだ十分に届いていないとメンツァー自身も認識しています。また、これは他の選手たちも指摘していることですが、メンツァーはサーフィン界におけるもう一つの欠陥にも言及しています。「困難な状況に陥った選手たちへの、支援が足りていないのです。たとえばラグビーはMen of League基金を立ち上げ、怪我や病気などに苦しむ選手たちをサポートしています。私たちもそうした支援をするべきです」。

 

 

数々の逆境を乗り越えてきたメンツァーですが、過去を振り返るのはとても楽しいと言います。自分はツアーに出ていた誰よりも、充実した時を過ごした気がすると話しているほどです。何しろ彼女は世界各国で勝利を収め、特に1993年に世界タイトルを獲得する直前の1991年と1992年には、ウェンディ・ボサを相手に壮絶な戦いを勝ち抜いてきたのです。

 

 

殿堂入りを果たしたメンツァーに、今若い女性サーファーたちに伝えたいことは何かと尋ねると、彼女はすぐにこう答えました。「自分らしくいてほしい、ということですね。自分を売り込む際に、性を売り物にする必要はありません。タイラー・ライトが素晴らしいのは、彼女がいつも自分自身でいるからです。水着を着てお尻を突き出したりするのは、本当に自分がそうしたいから? それとも他の誰かのためなのではないか、考えてみてほしいのです」。

 

 

メンツァーは、スポンサーになるブランド自体にも責任があると考えています。女性アスリートたちを間違ったやり方で売り出すのではなく、もっと彼女たちの運動能力に焦点を当てるべきだと指摘しています。2013年にRoxyが、そして2017年にBillabongが、広告でサーファーたちをモデルとして起用する際、男性サーファーに対してはサーフィンの技術を披露する写真を使い、女性サーファーに対しては挑発的なポーズを撮った水着姿の写真を選んでいたことで、多くの議論を呼びました。そうした騒動からも学ぶべきことはたくさんあるはずです。

 

 

インタビューの終わりにふと、メンツァーのようなアスリートに聞いてみたい質問を思いつき、尋ねてみました。世界チャンピオンになった時のトロフィーは、まだ保管しているのでしょうか?

 

 

彼女はすぐに笑いながら答えました。「持っていますよ。家にあります。でも、真っ二つに割れてしまって。もらった時にはすでに壊れていたみたいです。だから、みんなが持ち上げようとする度に、やめた方がいいよと言っていました。バラバラに壊れて落ちてくるよって。でも、昨晩もらったトロフィーは本当に美しいですね。金属でできているのでしょうか、ものすごく重いんです」。

 

 

そのエピソードには、どこか暗示が含まれているようにも思えてきます。サーフィン界は、ようやく彼女にその功績に値する敬意を払いました。しかし現在の時刻は245分、メンツァーの出勤時刻になりました。彼女には、運転すべきバスが待っているのです。

 

 

この記事は、The GuardianJock Serongが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。

 

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