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テック業界で働く女性たちの個性的なキャリア・パス

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テック業界に女性が少ないことは周知の事実です。National Girls Collaborative Projectの統計では、アメリカの労働者のうち女性は約半数を占めるにも関わらず、STEM(科学・テクノロジー・エンジニアリング・数学)関連の職に限定すると、女性の割合は全体のわずか28%だということがわかっています。また、Code.orgによれば、大学が授与するコンピューターサイエンスの学位のうち、女性に与えられる割合はおよそ18%だそうです。

 

ジェンダー平等を達成する道のりはまだ長く、平坦とは言えません。テック業界ではそれがさらに顕著です。しかし、STEM教育の学位なしではテック業界の職に就くことができない、という考えは実は正しくありません。アメリカの大学生向け就職サイトHandshakeが行った最新の調査では、ソフトウェアエンジニアおよびデベロッパー職に応募した10万人の女性のうち、35%STEM関連以外の専攻であったことがわかっています。

 

「多くの学生が、教育の価値は専攻によって決まるのではないことに気づき始めています」。そう語るのは、Handshakeの高等教育部門責任者であるクリスティーナ・クルスベルガラです。「STEM分野の学位なしでテック業界の仕事に就こうと考えている学生は、情報を総合的に扱う能力や、物事を突き詰めて考える深い思考力、そして高度なコミュニケーション力など、仕事の上でも役立つ自分のスキルをアピールする必要があるでしょう。非STEM専攻の学生たちが持つ問題解決へのユニークな視点や、創造的な解決策は、雇用者にとっては理系分野での専門知識と同じくらい価値があり、求人や雇用プロセスにおいてより注目されるべきポイントになるはずです」。

 

ここから先は、テック業界の職に就いた女性8人のインタビューをご紹介していきます。Spotifyのシニアポリシーディレクターから、元海兵隊員でウェイトレスとして働いた後、Adobeのエンジニアになった女性まで、この業界にどのように参入したのか、そして若かりし頃の自分へのメッセージなどを質問しました。

 

 

ジョディ・カーマン(配車サービス会社Lyftのディレクターおよびプロダクトマネージメント)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

上院議員です。

 

大学では何を専攻していましたか?

社会学を中心に、経済学、統計学、それから哲学を学びました。また、私はフルブライト奨学金を受け、シドニー大学で修士を取得しています。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

Lyftは現在、ネバダ州ラスベガスやアリゾナ州のフェニックスといったエリアで、Lyftのアプリを使うだけで自動運転テクノロジーを体験できるシステムを展開しています。ほとんどのユーザーが、自動運転車に乗るのは初めてです。自動運転技術はもっと未来のテクノロジーだと考える人が多いのですが、弊社はWaymoやAptivといった高い自動運転技術を提供している企業と協力し、すでに実現させています。私の仕事は、ユーザーがLyftの自動運転を迅速かつ安全に利用できるように管理することです。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

もっと若い時から、テック業界の職に就くのだって不可能ではないと気づいていたら良かったとは思います。私が特にテクノロジーに興味を持ち始めたのは、2008年のオバマ大統領の政権移行期にTIGR(Technology, Innovation and Government Reform)チームのメンバーになった時のことでした。メンバーとして私はオバマ陣営に対し、政府をより良くするためにテクノロジーがいかに役立つかという提言を行いました。そこでようやく、多難なテクノロジー問題に対応する際にも、私のようにリベラルアーツの分野で学んできたスキルが役立つということがわかるようになったのです。現在もユーザーに自動運転を紹介する際に、自分の過去の経験を活かすことができていると思います。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

そんなに怖がらないで!ということでしょうか。良い仕事をし、人に優しく、そして行きたい場所へ大きく飛躍しましょう。そうすれば、世界は自ずと答えを与えてくれるはずです。正直言って、このアドバイスは今の自分に伝えたいことでもあります。自分はもう恐怖から抜け出したと言うような人こそ、まだ努力の余地があるはずですから。

 

これまでの道のりを教えてください。

私は国際発展の分野でキャリアをスタートさせました。ウガンダのNGO団体の人権オフィスで働いていたんです。村から村へと渡り歩き、女性たちに人権について語り、それをどのように行使すべきなのかを伝えるのが仕事でした。また、フルブライト奨学金を得て難民政策を学んでいたことで、結果としてMcKinsey and Companyのシドニー支社での職を得て、オーストラリアの緑の雇用(環境保全に役立つ仕事)政策や、国中のテクノロジー発展を促すために高速ブロードバンドネットワークを構築する方法など、官民分野のプロジェクトに集中するようになりました。

 

そしてオバマ大統領の政権移行チームのメンバーになり、そこでテクノロジーの力を実感したのです。テック業界の職に就きたいと思ったのもそれがきっかけでした。その後2013年にサンフランシスコに移り住み、自分たちの使命を重視しているようなテック企業での仕事を探し始めました。幸運なことに、いくつかのそうした企業との出会いがあり、私はSerena+Lily社で働き始めました。Serena+Lilyは2人の女性起業家が立ち上げ、社会的な企業家精神を持ったeコマースの会社です。2015年には友人の紹介でLyftの創業者に出会い、それから今に至ります!

 

 

オリンダ・ハッサン( Spotify社のシニアポリシーマネージャー)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

フライトアテンダントかパイロットです。子どもの頃は家族でよく旅行に行っていたので、飛行機の旅や飛行機自体に強く惹かれていました。1990年代、フライトアテンダントはとてもグラマラスに見えたんです。制服も素敵でしたし、いつもニコニコ微笑んでいるので、世界で最も幸せな人たちなんだろうと思っていました。パイロットは女性がとても少ないこともあって、だからこそ、女性パイロットはものすごくかっこいい存在だったんです。コクピットに座るのが自分だったら最高にクールだろうなと想像していました。

 

大学では何を専攻していましたか?

ウェルズリー大学で国際関係、経済、南アジア学の学士を、コーネル大学で行政学の修士を取得しています。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

弊社の製品がユーザーにとって最高の利用体験になるように、様々なステークホルダーとともに働いています。Spotifyのコンテンツが安全かつユーザーの信用を得られるものであることを保障できるよう、コンテンツポリシーの作成を支えるのが私の仕事です。そのために、ステークホルダーとコンスタントに会議を行い、自社製品や新しい機能に対する知識を深め、新しく企画をするためには何ができるか、また、ますます増加しているユーザー基盤をサポートするために、どうしたら創造力を発揮させることができるかを話し合っています。人との交流が多い仕事ですので、コーヒーブレイクは欠かせません。また、業界について学ぶ機会もたくさんあります。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

私は、自分がテック業界でポリシー作成に関わる仕事をするなんて想像もしていませんでした。しかし会うべき人に出会い、コネクションを築いていくうちに、結果としてその機会を求めることになったのです。コーネル大学に入りたての頃は、テック業界にポリシー関連の仕事があることすら知りませんでした。それでも卒業生とのネットワークを築くなかでポリシー作成の仕事をしている人に出会い、その人とやりとりを続けていました。そしてインターンシップ募集の話が出ると、すぐに飛びついたのです。ですから、こうしていたらと思うことは1つもありません。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

あまり悩まないで、ということです。私の家族はバングラデシュからの移民なのですが、子どもたちは教育を受け、将来は医者か弁護士か、そうでなければファイナンス関係の仕事に就くべきという考えを持っていました。他にやりがいを感じる仕事があるなんて、両親には(そして私自身も)思いもよらなかったのです。若い頃の自分には、もっと冒険心を持ち、学びに時間をかけるようにと言いたいです。自分のキャリアを見つける道は、平坦とは限らないですから。

 

それから、もっと人から意見をもらうようにとも伝えたいです。人に意見を求めることを恐れず、また人からのコメントを全部批判だと決めつけずにいられたら良かったと思っています。若い頃はどうしても自分に厳しくなりがちです。人に助言を求めてこそ大人だと思いますし、実際に人のアドバイスは成長する機会を与えてくれるものです。信頼を築くきっかけにもなります。

 

これまでの道のりを教えてください。

私はウェルズリー大学卒業後、フルブライト奨学金を得てバングラデシュに滞在しました。英語を教えながら、公教育における若者たちのモバイルテクノロジー利用についての研究を担っていました。その経験がテクノロジーと社会の関係性に興味を持つきっかけになったのです。世界規模のソーシャルメディアや、その他様々なインターネットのプラットフォームの発展に魅了され、またコミュニティごとにそれらの利用方法が異なることにも興味をかき立てられました。

 

そしてコーネル大学に在学中に、Twitter社の安全性とセキュリティに取り組むチームでインターンをする機会を得ました。そこで初めてポリシー作成がどういうものなのか、そして企業のビジネスゴールとユーザー体験のバランスをとることがいかに複雑であるのかをんだのです。サンフランシスコのTwitter4年半、様々なポリシーやプロダクト関連の仕事をした後は、ニューヨークに移りSpotifyに入社しました。

 

 

シーマ・ラカニ (ソーシャル出版プラットフォームWattpad社のチーフプロダクトオフィサーおよび、Wattpad Labsのジェネラルマネージャー)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

はっきりとした夢はありませんでした。両親のように起業家になりたいと思ったり、また別の時には、何かクリエイティブなアート関連の仕事に就きたいと考えていたこともありました。とにかく、何かしらの影響を与える人になりたいと思っていたことは確かです。

 

大学では何を専攻していましたか?

ウェスタン大学アイビービジネススクールの経営学部を優等の成績で卒業し、起業家精神を学んだという修了書を授与されました。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

とにかくいろんな仕事をしています! まずプロダクト部門のチーフとして、Wattpadのプロダクト戦略およびプロダクトマネージメントチームを率いています。ユーザーが抱える特定の問題やビジネス上の問題に着目し、対処できるよう、しっかりしたプロダクト思考を確立することが目的です。私たちはここ数年でいくつもの製品イノベーションやマネタイズモデルを取り入れてきました。たとえば弊社の独占的有料コンテンツであるWattpad Paid Storiesや、広告なしで利用できるWattpad Premiumなどがその例です。

Wattpad Labsのジェネラルマネージャーとしては、弊社のビジネス成長を支えている「物語を伝える」イノベーション技術を生み出すなど、研究開発に携わっています。たとえば私のチームはWattpad’s Story DNA Machine Learningというテクノロジーを開発したのですが、それはWattpadを個人的にカスタムし、プラットフォームにアップされている莫大な数のストーリーの中でも、特に注目すべきものを見つけられる機能になります。

 

また、私はWattpad内での多様性を推進する委員会を運営しています。Wattpadで働く人たちがありのままの自分でいられるよう、真に多様性を受け入れる職場環境を作れるように率先して動いています。また私たちは、この業界全体がすべての人を受けいれ、またすべての人に開けたテクノロジーを作り出せるようになることを望んでいます。Wattpadでは、現在従業員のうち、有色人種の割合が約半数(45%)を占めています。また、21%が有色人女性、15%が英語を母語としない人、13%がLGBTQ+と自認している人、3%がトランスジェンダーの人になります。これは、テック業界をより多様性のある場所にしようという努力の結果だと思いますし、自分がそうした委員会を牽引できていることを誇らしく思っています。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

職探しを始めた頃は、テック業界は視野に入れていませんでした。私はアートに強い興味があったので、創造性とビジネス思考を融合させることに関心があったのです。大学卒業後、経営コンサルティングの仕事をするなかで、テクノロジーに惹かれ始めました。特に、人と製品の間に生み出されるダイナミズムに関心を持つようになったのです。また、20代前半にはトロントのコメディー業界でも深い繋がりを築いていました。コメディークラブのThe Second Cityで即興を学び、それから仲間たちと寸劇の劇団を立ち上げるまでにもなったのです。その経験があったからこそ、いつ何が起こるかもわからない環境で立ち回ることに慣れ、自分の直感を信じることができるようになったと思っています。スタートアップ企業で働く上では、ぴったりなスキルだと思いますよ! 最初からテック業界で経験を積んできたわけではありませんが、こうした様々な場所での経験が、現在Wattpadで働く上で大きな力になっているのです。ですから、何1つ後悔はしていません。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

キャリアを決める際に大切なのは、自分自身を知り、自分が何を求めているかを知ることだと思います。周りの人が求めるものと違っていても構わないのです。たとえ隣にいたとしても、状況は人によって様々です。自分と同じ価値観、経験を持っている人は存在しませんし、それぞれ立場も異なります。ですから、すべての人に役立つアドバイスをすることは難しいものです。私の場合は、自分を振り返り、自分が何に価値を見出しているのか確認することが、キャリアを選ぶ上で役に立ちました。ですから、価値があると思う対象を追求し、周囲の人の声は気にしないこと、と過去の自分に伝えたいです。

 

これまでの道のりを教えてください。

大学卒業後に初めて就いた仕事は経営コンサルタントでした。ですが、すぐにこの仕事に情熱を抱けないことに気づきました。伝統的なビジネス環境が自分には向いていなかったので、スタートアップの育成を行う会社で働き始めました。そこでは、ビジネス戦略と実務の両方を経験することができました。それからTorstar Digitalというカナダ最大の新聞社のデジタル部門で、破壊的イノベーション(新しい基準の下では従来よりも優れた特長を持つ技術や製品などがもたらす変化)戦略を先導し、その後Wattpadのビジネスチームに加わりました。

Wattpadではプロダクトマネージメント部門に移動し、代表者になりました。その後最高製品責任者になるのですが、その前にWattpad Labsの本部長になったので、2つの役職を兼任することになりました。このように、私は自分のビジネス経験とテクノロジーへの情熱を結びつけてきました。その結果、人々が自分自身を表現し、日々の生活を向上させるのを助けるプロダクトを世に送り出すことができるようになったのです。

 

 

アリー・ショウ(Adobe社ソフトウェアエンジニア)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

まず、ソフトウェアエンジニアになるとは思ってもみませんでした! Sea Worldのイルカの調教師か、アメリカ大統領になりたいと思っていたのです。

 

大学では何を専攻していましたか?

私は早いうちから学校になじめず、学業につまずきを感じていました。物事をやり遂げたり、学んだことをすぐに活かすことができなかったのです。高校も特殊な学校に通ったので、奨学金で大学に行くという選択肢もありませんでしたし、自費で通うための貯金もありませんでした。とはいえ高校卒業後も、高等教育を受けたいと思っていました。それで、まずは海兵隊に入隊し、その後退役軍人のための福利厚生を利用して大学に通い、職務経験を積もうと考えたのです。

 

退役後はしばらく看護学校に通ったのですが、自分には合わないと感じました。その後、独学でコード(コンピューターで、データを表現するために付けられた符号)を学んだのですが、すっかりはまってしまったのです。自分がこれまでしてきたことで、ここまで興味を引かれたものはありません。1日中、パソコンから離れたくないと思うほどでした。そこでもっと学びたいと思っていた矢先に、Adobe Digital Academyと出会いました。テクノロジーを大学などで専門に学んできていない人たちが、テック業界でのキャリアを築けるように促す実習プログラムです。志願者はAdobeが提供する12週間の集中研修に参加するのですが、その際に生活費も支払われます。その後Adobeで実習生として働くための面接を受け、うまくいけば最終的にフルタイムの仕事を得るチャンスがあるのです。そのプログラムのおかげで、私はコードの勉強に全力で集中できました。そして研修後に実習生になることができ、今ではフルタイムのソフトウェアエンジニアとして働いています。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

私はチームと一緒にAdobe Analyticsのプロダクトにまつわる仕事をしているのですが、チームを超えた作業をすることもあります。通常は、バグの処理やプロダクトの機能、新しいバージョンのリリース関連の作業などに携わり、他のチームとも共同作業をしています。私にとってはまだ新しいことばかりなので、チームが携わっている作業に新たな視点をもたらすことができます。それは自分にとっても助けになっています。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

同じチームのエンジニアたちと比べても、私はちょっとユニークな経歴を持っているのですが、それを変えたいとは思いません。これまで学んできたことがあったから、今の私がいるのです。プロとしての振る舞いは海兵隊時代に築き上げたものです。また、わずか12週間の研修でウェブ開発を学んだことも、忍耐力を鍛える経験になったと思います。実は今でもインポスター症候群(自分の能力や人からの評価をうまく認められず、自分が「詐欺師」のように感じてしまう状態)を克服しきれていないのですが、幸運なことに、チームは私をサポートしてくれています。確かに別の道を進んでいたら、もっと早く今の仕事に就けていたかもしれません。それでも、こうしたすべての経験が今の私を作り上げてきたと思うので、自分の道のりは間違っていなかったと思います。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

そんなに慌てず、もっと自分に優しく、と言いたいです。学歴のせいで、自分がプロとして達成できることは限られていると思い込んでいたのです。これまでで一番の気づきは、たとえ新人であれ、20年以上働いてきたベテランであれ、ほとんどすべての人にインポスター症候群の経験があるということでした。自分にはここで働く資格がないのではないかと思い悩むことは、実は珍しいことではないのです。というわけで、昔の自分には、過去に未来を支配させないこと、それからインポスター症候群は克服できると知ること、とアドバイスしたいです。

 

これまでの道のりを教えてください。

海兵隊では一般事務の仕事をしていましたが、退役後は別の仕事を探していました。学校に通い、看護学を学びましたが、その道に進もうとは思えませんでした。そこで学校から離れ、退役手当がもらえる残り数か月の時間を、自分が情熱を注げるものに使おうと思ったのです。私は独学でコードを学び始め、同時にウェイトレスとして働いていました。ちょうどその時、友人からAdobe Digital Academyの話を聞いたのです。テクノロジーの大企業がコーディングの知識のない人たちを受け入れ、研修と実習制度を用意し、最終的にはフルタイムの仕事の機会を提供してくれるなんて、びっくりでした。研修を始めて現在のフルタイムの職を得るまでに1年もかかりませんでした。私には数名の指導者がいますし、チームメイトや別のチームの人々まで、みんな私を支えてくれています。かなり大変な日々もありますが、乗り越える励みになります。これらすべての経験があったからこそ、今の仕事に就くことができたのだと思います。

私は海兵隊員になり、その後ウェイトレスとして働き、今はソフトウェアエンジニアの仕事をしています。私は成長の大切さを学びました。インポスター症候群や、自分はここに属していないのではという恐怖感、それから成功できないのではという不安を、私たちは克服しなくてはいけません。それを乗り越える支えや励ましを与えてくれるネットワークを持つことが、とても重要になります。私は現在、退役軍人たちがテック業界に参入するのを助けるOperation Codeという組織にも関わっています。

 

 

アイリス・ネヴィンス (メール配信サービス会社Mailchimpソフトウェアエンジニア)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

弁護士になりたかったです。

 

大学では何を専攻していましたか?

ポモナ大学でアフリカーナ学の学士号を取得しました。アフリカーナ学は、アフリカン・ディアスポラ(奴隷や移民などとして世界中に離散したアフリカ人)の歴史や経済、政治、心理学、そして文学を扱う多分野にまたがる学問です。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

Mailchimpのプロダクトエンジニアとしてソフトウェア製品に関係した仕事をしています。弊社の一体型マーケティングプラットフォームにおける新機能の開発や、既存の機能のアップデート、およびバグの修正を担っています。技術的な作業をすることもあれば企画会議に参加することもありますし、また、技術関連ではない側面でもエンジニアリング戦略に貢献しています。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

すべてには理由があると考えているので、こうしたかったという希望は特にありません。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

情熱の赴くままに進もう、と言いたいです。周りの声には惑わされないで!

 

これまでの道のりを教えてください。

最初に就いたのはファイナンス関連の仕事で、生命保険や投資商品を販売していました。その後はコミュニティの組織運営と教職を経て、ソフトウェアエンジニアにたどり着きました。教職に就いていた合間にも、草の根運動のオーガナイズには関わっていたのですが、私はそうした組織がテクノロジーの知識を得るための手伝いをしていたのです。その関係で、私は独学でコードを勉強し始めました。そしてコーディングについて知るうちに、ソフトウェアエンジニアになりたいと思ったのです。ソフトウェアを構築し、デザインする能力のすごさを思い知ったからです。それからしばらくして教職を辞め、進歩的な活動家たちが、テクノロジーを利用することでより効果的に活動できるようにと、フルタイムのエンジニア職を探し始めました。自分には経営管理能力とリーダーシップがあることがわかっているので、今後はエンジニア経営者を目指したいと思っています。

 

 

アーシャ・シャルマ (Facebook社 ヘッドオブプロダクト&メッセンジャー)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

プロフットボールリーグのチームドクターです(私はウィスコンシン州出身で、グリーンベイ・パッカーズのファンなのです!)

 

大学では何を専攻していましたか?

ミネソタ大学カールソンスクールでビジネス科学の理学士号を取りました。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

毎日のように違うことをしています。ただ共通して言えるのは、問題解決に取り組み、ユーザーへの理解を深め、自分たちの使命を果たすための向上心を日々培っているということです。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

すべてにおいて、そう思います。でも、自分が進んできた道にも意味があるのだと考えるようにしています。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

自分が何者になりたいかではなく、何をしたいのかにフォーカスすること、でしょうか。

 

これまでの道のりを教えてください。

ゴルフコースのアテンダントとして働いたのが、初めての仕事だと思います。学費を稼ぐためでした。そしてそれがきっかけで、ゴルフコースのオーナーであるSC Johnsonという会社で財務管理のインターンとして働くことになりました。その後、アメリカ各地の様々な業界を渡り歩くなかで、企業がどのような規範のもとで機能しているかを学び、自分でもいくつかの会社を立ち上げるまでになりました。失敗も多かったですが、学ぶこともたくさんありましたし、優れた指導者に会うこともできました。そして自分が一番大事にしたいことが何なのかに気づいたのです。現在、私はFacebookでプロダクト開発の仕事に就いています。この仕事には、自分が本当に良いと思える使命や、素晴らしい人との出会い、そして社会を変革するような影響力といった、私が最も大切にしたいと思う要素がいくつも含まれているのです。

 

 

イミュエ・レイノルズ (メール高速化アプリSuperhuman社ヘッドオブモバイル)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

電車の車掌になりたいと思っていました。

 

大学では何を専攻していましたか?

ブラウン大学でコンピューターサイエンスの理学士号を取得しています。私は1年生の時、プログラミングの知識がないままにコンピューターサイエンスのクラスに登録したのですが、実際のところ、自分が何をするのか全くわかっていませんでした。しかし最終的に、コンピューターサイエンスに魅了されてしまったのです。作業にもすっかり没頭できたので、これを仕事にしたいと思うようになりました。私は2006年卒業なのですが、ブラウン大学でコンピューターサイエンスの学士号を取得した黒人女性は、1984年以来私が初めてでした。

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

モバイル部門のトップとして、Superhumanの携帯アプリの製品およびエンジニアリングを牽引しています。基本的な仕事としては、コードを書き、製品について考え、部下を指導する他、外部の企業と会議をしたり、人材を募集したりもしています。まだ誰も解決方法を思いついていない問題をチームで解決するのも、仕事の1つです。刺激的かつ楽しい仕事ですし、日々学びがあります。

 

入社当初は、ソフトウェアの基本設計やアルファ版よりもさらに前の段階のアプリに関する作業をしながら、チームを編成していきました。チームが成長するにつれ、私の役割も変わっていきました。現在の私の仕事は、エンジニアたちが自分のゴールを達成するのを支援しつつ、世界最速のメールアプリを構築するという会社共通の目的のために、チームが一丸となって働く環境を支えています。

 

モバイル製品やエンジニアリングに関わる仕事の他に、私は顧客感動度をアップさせるための部署を統率しています。Superhumanを利用するすべてのユーザーが感動体験を得られるようにすることが目標です。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

おもしろい質問ですね。ある意味では、これまで経験してきたことすべてが、現在の私を作っていると思っています。大変だったこともありますが、それも学びとして後の成功に貢献しているのだと思います。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

戸惑いを感じたとしても、それを受け入れられるように。新しい世界に飛び込めば、きっと成長も早くなります。自分の安全地帯にいては、なかなか成長はできません。それから、良い指導者に出会うこと。すでに様々な経験をしている人たちから学ぶことはたくさんあります。

 

これまでの道のりを教えてください。

大学時代はMicrosoft社でインターンをしていたのですが、2006年の卒業後には、全く異なるタイプの会社で働きたいと思っていました。当時の私にとって、その会社とはApple社だったのです。私が配属されたチームはApple TVチームでしたが、まだApple TV自体が存在していない時のことです。私は2006年から2011年まで、Apple TV3つのバージョンが発売されるあたりまでチームで働いていました。最初の年、私を含めチームのみんなは週に80時間も働いていました。ものすごく疲れましたが、同時に刺激的な日々でした。

 

その後の3年間は、パーソナライズ雑誌アプリ会社Ziteの小さなチームに配属され、デベロッパーおよびプロダクトマネージャーとして働き、会社が競合会社のFlipboardに統合されるまでいました。それから短期間ですがゲームアプリのThe Factory社とフィットネスアプリのMoveWith社でテクノロジーおよびモバイル部のトップを務めた後、Superhumanに入社しました。実はその直前に別の会社からのオファーがあり、それを受けるつもりでいたのです。しかしSuperhumanの共同創業者からメールをもらい、数回会って話を聞いた時には、この機会を逃してはいけないと気づきました。

 

入社してすぐに、Superhumanの何が特別なのかがわかりました。まずは仕事のクオリティの高さです。Superhumanのチームはみな勤勉で、細部にもこだわりがありますし、ユーザー体験のアップに全力で取り組んでいます。また、弊社は非常に野心的なビジョンを持っています。Eメールというものはあらゆるところで用いられ、使い方も実に様々です。Superhumanは、世界で最もパワフルなEメールサービスを提供するという、大胆な構想にコミットしています。最後に、社員がそれぞれお互いに優しく、敬意を持って接するような社風があります。仕事を探している時には見逃しがちですが、実はかなり大切なポイントです。それぞれ秀でた能力を持つ人たちが、緊密に働けるチームを作り出す上では必要なことなのです。

 

 

アン・ウー (Samsung社 シニアディレクターおよびコーポレートシティズンシップ)

 

子どもの頃は何になりたかったですか?

まだ小さい頃は、本気でアメリカの大統領になりたいと思っていました。家にあった百科事典の「大統領」という項目の下に、自分の写真を貼り付けていたほどです。移民としてアメリカに渡った両親からは、大統領になるための資格はアメリカ生まれであること、そして35歳以上であることだと聞かされてきたので、自分も絶対なれるという自信があったのです。大統領になったら、不正を正し、性別や人種間の格差を是正したいと思っていました。世界に変化を生み出すには、まずは自分からやってみるのが一番だということも考えていました。

 

それからもう少し成長し、自分にはコーディングの才能があることに気づきました。コンピューターを触っているとパワーを得られるような感じがして、自分で操作できることに喜びを感じたのです。小学校ではコンピューターを使ったコンテストで優勝し、おかげでその日の夜に両親にパソコンを買ってもらえました。高校、大学を通じてコンピュータープログラムの授業を受け続けましたが、その分野に興味を持つ女性が少ないことに気づき、途中でその道に進むことを諦めてしまったのです。実は、現在私が率いているチームは、このような認識を改善させようと様々な試みを行なっています。私の学生時代のことを考えれば、社会がここまで変化したことはうれしい驚きです。とはいえ、まだまだやるべきことはたくさんあるはずです!

 

職場では毎日どのような仕事をしているのでしょうか。

基本的にはコーポレートシティズンシップチームと共に、すでに運営している戦略プログラムを見直したり、新しいプログラムのアイディアを練ったり、チャリティーパートナーたちにそれぞれの構想を尋ねたりといったことを中心に、実に様々なことをしています。先ほどのプログラムのうち、主要なものとしてSamsung Solve for Tomorrowコンテストと呼ばれるものがあります。これは小学6年生から高校3年生の生徒および先生たちに参加してもらい、STEM(科学・テクノロジー・エンジニアリング・数学)を用いて、自分たちのコミュニティにおける問題に取り組んでもらうコンテストです。たった今、私たちは全米の生徒と先生たちからの応募書類に目を通しているところです。このコンテストは、私たちが先導するプロジェクトの中で最も重要なものなのですが、参加者が発表するアイディアに毎年とても感動させられています。

 

また、現在進行中の社会問題を知り、その根本にある原因を理解するために、資料を読んだり、人に会って話を聞く時間も多くとっています。

 

このキャリアを得るまでに、もっとこうしていたかったということはありますか?

これまでの職歴を振り返ってみると、ビジネスの対象がローカル中心である小さな会社から、国際規模の大企業まで、大小様々なタイプの会社で働いてきたと思います。それでも、私が働く上で常に意識していたのは、物事の実態を周囲に示し、人がより良い選択を行う際に求められる人間性を理解する上で、データの力を信頼するということでした(ちなみに役職で言うと、これまで私は戦略的マーケティング、消費者インサイト、それからマーケティング戦略に携わっていました)。Samsungでの私の仕事は、社会に対するポジティブな影響力を、定量化できるやり方で加速すること、そして人々の潜在的な可能性を解き放つことにあります。実際にコンテストに参加した生徒たちから、STEMなど理系の道に進むきっかけになったという話を聞くなど、プログラムが与えている影響を実感できてうれしく思っています。

 

若い頃の自分に、プロフェッショナルな観点から伝えたいことは?

どんなに障害があったとしても、自分の情熱を追い続けること、でしょうか。それから、すでに自分と同じような困難を乗り越えた経験のある指導者に出会うことも重要だと思います。私は今の人生にとても満足していますが、もし、コンピューターサイエンスを仕事にしている女性の指導者に出会えていたら、もっと自信を持ってその道に進むことができていたかもしれません。

 

これまでの道のりを教えてください。

過去の所属していた会社でも、またSamsungに入社したての頃も、まずはデータの裏に隠されたストーリーを読み取ることから私の仕事が始まりました。Voter News Service社のプロジェクトコーディネーターとして初めて仕事を任された時から、データ傾向を見て投票パターンを理解し、若者の間での新たな社会問題を特定したり、またビジネス間取引における購買決定パターンを追跡したりなど、通常単純には理解できない現象を数字から読み取り、人々の声に還元していくことが私の役割なのです。このように、左右両方の脳を活用できるような仕事を見つけられたことは、とてもラッキーだと思っています。

 

 

この記事は、Refinery29のAnabel Pasarowが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、legal@newscred.comにお願いいたします。

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