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連載 ニッポン化粧ヒストリー第6回 口紅は金と同じ値段だった? 浮世絵から紐解く江戸時代の化粧道具

日本の化粧カルチャーにおけるユニークな風習や技術から、毎回ひとつのテーマを掘り下げてご紹介する本企画。第6回は「江戸時代の化粧道具」がテーマです。身だしなみとして整えることから、文化的な「美」への意識も花開いた江戸時代。おしろいや化粧道具を売る商店も登場した江戸の町に生きる人々は、どういったものを使い、どんなトレンドを追いかけていたのでしょうか? 当時の上流婦人の生活様式を描いた浮世絵を参考に紐解いていきます。
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絢爛豪華な婚礼道具としての化粧道具

江戸城に暮らす女性たちの日常を描いた浮世絵のシリーズに《千代田之大奥》があります。そのうちのひとつ「お櫛あげ」には、鏡を前に女中に髪を結わせている御台所(将軍の正妻)と、漆塗りで金粉を撒いたような絢爛豪華な化粧道具が登場します。この時代、上流階級にとって化粧道具は、婚礼道具として取り揃えておくべきものとして扱われていました。大名クラスになると50点以上もの数を持ち、広げるだけで四畳半ほどのスペースが必要になります。例えば、婚礼化粧道具は道具ごとに専用の箱が用いられ、寸法まですべて決められていました。
約50点からなる婚礼化粧道具(橘唐草紋散蒔絵婚礼化粧道具)
一方庶民はというと、上流階級が使っていたものとかたちは同じでも、化粧台と最低限メークに必要な道具を抜粋して使っていました。昔の家はいまのようにつくり付けの家具がないため、必要なときにすぐ取り出せるよう、コンパクトかつポータブルなものが使われていたようです。
鏡を見ながら自分の手でおしろいを塗っている様子。庶民の鏡箱は黒一色の漆塗り(『神事行燈 三編』溪斎英泉画)
この時代のメークといえば、せいぜいおしろいと紅とまゆ墨くらい。それは上流階級も庶民も変わりません。しかし、使う道具にいたっては、つくられる場所も職人の技術も違っていました。現存する日本で一番豪華な化粧道具は、徳川美術館にある国宝《初音の調度》という、三代将軍・徳川家光の長女である千代姫が嫁ぐ際に整えた婚礼道具ではないでしょうか。千代姫が生まれるとすぐに発注し、幕府に仕える蒔絵師の工房にサンゴや金を用いてつくらせました。
一方で、庶民は刷毛の代わりにウサギの足先を使っていた、という記録も残っています。イタチやウサギの毛はとても柔らかく、現在も書道や絵画用の刷毛として使われています。石油などの化学原料を使ったものが登場する明治時代までは、木や漆、金や鉄といった天然の素材が多く使われていました。

庶民に美の知識を授けた美容本『都風俗化粧伝』

古くから礼儀作法の一端として指南されていた化粧は、人々にゆとりが生まれた江戸時代に入ると、時代の後押しもあり「身だしなみ」だけでなく「文化的に楽しむもの」にもなっていきます。美しくなるための知識が求められていく流れのなかで、おしろいを取り上げた化粧ヒストリー第5回にも登場した佐山半七丸著『都風俗化粧伝』などの美容指南書が出版されました。
現代と比べると、圧倒的に化粧品の数が少なかったこの時代。しかし、『都風俗化粧伝』で紹介されるメーク方法は現代にも引けをとらないほど手の込んだものでした。例えば、今と違ってぱっちりしたアイメークはNG。一歩下がった控えめな女性らしさを演出するためにも、伏し目を美しく見せることが良いとされていました。また、眉は結婚すると剃り落とすのが当たり前でしたが、上流階級は式典に合わせて眉を描くこともありました。そのほか、鼻を高く見せるおしろいの塗り方やおちょぼ口に見える紅の差し方、首筋が短い人に向けた首筋化粧法など、いわゆる修正メークに近いものが多く紹介されています。
眉の下を剃ると伏し目がちに見える(『都風俗化粧伝』佐山半七丸著)
メーク方法と合わせてスキンケアについても詳細な情報が書かれています。この時代のスキンケア用品は、手づくりが基本。ノイバラを蒸留して抽出する花の露(ローズウォーター)や、イノシシの足を煮て抽出した油をパックのように塗る猪爪(ちょてい)という、コラーゲンパックのレシピも紹介されています。こうした美容に関する基礎知識が広まっていったことで、明治時代にヨーロッパのコスメが流通してもそれほど違和感なく浸透していったのかもしれません。

1回800円!「笹色紅」で富をアピール

江戸時代の後半に、トレンドセッターである歌舞伎役者や芸者を真似て流行ったものに「笹色紅」があります。紅をたくさん塗り重ねる京都風の化粧に影響を受けたメーク法で、たっぷり塗ることで紅が緑色にギラリと光る玉虫色に見えることから「笹色紅」と呼ばれるようになりました。浮世絵に登場する遊女たちの姿は、そのメタリック感を出すために口元が緑色の顔料で刷られています。
右の女性に注目すると紅が緑色であることが分かる(《浮世四十八手 夜をふかして朝寝の手》渓斎英泉作)
このころの紅は紅花から赤い色素を抽出したもので、それをお猪口や貝などの内側に塗って市販されていました。しかし、庶民が手を出せるものではなく、金と同じような金額で取引されていたそうで、たくさん塗り重ねる「笹色紅」は富の象徴でもありました。玉虫色を出すために使う紅の量は1回でなんと800円分ほどらしく、美しさというよりも見栄で塗っていた側面もあったとも。遊女などを見て「笹色紅」に憧れた庶民が、安価に流行を取り入れようと発見したのが墨汁です。墨汁を薄く塗った上から紅を塗ると「笹色紅」と同じようなメタリック感を出せるようになったのです。
江戸から明治へ時代が移るにつれて、日本髪や着物の文化が薄れ、ヨーロッパから輸入されたドレッサーが鏡台に取って代わるなど、生活様式の変化とあわせてメークも化粧道具も変化していきました。しかし、江戸の庶民が自分たちなりに「笹色紅」を再現しトレンドを追いかけようとしていたその努力は、現代の私たちのトレンドに対する姿勢とあまり変わりないのかもしれません。
取材協力:ポーラ文化研究所 学芸員 富澤洋子
ポーラ文化研究所は、化粧を美しさの文化として捉え、学術的に探求することを目的として1976年に設立。以来、化粧文化に関する研究活動を行い、ホームページや出版物、調査レポート、展覧会などのかたちで情報発信しています。
公式サイト:https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture
Twitter:https://twitter.com/pola_bunken
Instagram:https://www.instagram.com/pola_cosmeticculture/
Text by NONAKA Misaki
Edit by KAN Mine
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