Culture  

連載 CREATOR'S EYE 第18回
育児とウイルスと古里と—グラフィックデザイナー・長嶋りかこが導かれた“懐かしい未来”とは

“いま”の時代や文化をつくる人たちが、出会えてよかったモノ・コトを発信するコラム「CREATOR'S EYE」。今回は、様々な領域でアウトプットを続けているグラフィックデザイナー、長嶋りかこさんが登場。出産と育児、そしてコロナ禍を経て気づいた、仕事と自然の連続性がもたらす“懐かしい未来”を見出していきます。
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古里の自然に育まれた、ある感覚

39年前、自分が生まれ育った場所はただただ自然しかないような村で、観光で訪れるような類いのキャッチーな自然ではなく、黙々と山が連なり、凡庸に田畑があり、当たり前に動植物が生き、日常として自然が生い茂るような、ただただ静かな村だった。季節はもちろん朝と昼と夜の変化も、風に運ばれてくる草木の匂いや、産毛に降りたつ湿気や、煩いほどの小さな音たちや、滴る香りと味が、移ろいを教えてくれ、毎日無意識のうちに嗅ぎ、手に取り、聞き、口にして、またこの時季がやってきたんだなという、新しいものに出会うような気持ちと古いものに再会するような懐かしい気持ちを連れてきた。
このあたりで暮らす人々はだいたい畑や山や田んぼを持っており、私も18歳になって東京の美術大学に進学し一人暮らしを始めるまで、江戸時代から続くその家で半自給自足のような暮らしをしていた。気候によって自分たちの食べる作物の出来が変わることや、お風呂を沸かすためには山が長年育んでくれた木を薪として1時間ほど燃やさなければいけないことは、自分たちが自然から恩恵を受けているということを、誰から説明を受けるまでもなく肌に染み込ませた。
子どものころはまだ土葬が一般的で、盛り土が長い年月をかけ少しずつ凹んでいくのだけど、そのことは、故人が少しずつ土に還っていく様子をたやすく想像させた。よく畑で祖父母の農作業の真似をしてひとりで遊んでいるとミミズがたくさん現れるのだけど、ミミズが土にいると彼らの排泄物のおかげで土壌が豊かになることはわかっていたから、なんとなく故人もまた、ミミズによるそれのように微生物が分解し豊かな土となっていったであろうことを、なんとなく想像させた。目に見える自然の営みも見えない営みも、私たちと共存関係にあり、私たちも大きな循環の輪っかの一部であることを肌で感じるような、そんな場所だった。
実家で収穫される野菜

新型コロナウイルスを通じて再考する、自然と人間の関係性

自然界にはなぜウイルスというものが存在するのかについては、生物学者の福岡伸一氏や、協生農法を専門とする船橋真俊氏がコロナを機に寄稿していたもののなかに記述があり、それらがとても腑に落ちるものだった。ウイルスはもともと高等動物がこの世に生まれてきた時から、それらの咳などで外界に出てきたものだから、私たちの細胞側のタンパク質とウイルス表面のタンパク質は友だち関係のようなものなのだそう。ゆえに、本来親から子へと“垂直方向”に向かうだけの遺伝子情報を、“水平方向”に、場合によっては種を超えてさえ伝達し得るため、生き物の進化を加速してくれるのだという。自然界を舞うウイルスは数日で土に吸収され、微生物と共存ないし競争関係となり、生き延びたり淘汰されたりするのだけど、コンクリートやプラスチックなどの人工物には吸収されないために長く生き延びるとのこと。
なるほどウイルスもこうして自然の一部として動植物同様に必死に存在し、しかも生態系や動物の免疫システムを進化させてきたのならば、今回のコロナを単純に“敵”と見なすような捉え方にはちょっと馴染めない。もちろん沢山の死をもたらしてきたという悲しみも伴うのだけれども。しかしそもそも人間の活動が健全な土壌を砂漠に陥らせたりコンクリートジャングルに変えたりして、自然の営みを大いに乱してきたにも関わらず、堂々とウイルスを敵とみなすまなざしは、動物を「害獣」と呼ぶまなざしと同じだ。害獣は人間に害を与えるとされるが、そもそも人間が自然に害を与え続けてきたために仕方なく人の住む地域に踏み込まざるを得なくなったり、本来の食物が得られなくなり仕方なく別のものを食べるようになったにも関わらず、人間は「害獣」と呼ぶのだから、私たちはそもそも自分たちを棚に上げまくり過ぎではないか。自然はいつだって、人間の生活の変化をただただ受け入れながら変化しているだけなのだ。
自然をただ享受するだけでなく、自然とは何かを考えることでコロナの捉え方も変わる
2020年3月末に、私はコロナの感染疑いがあった。症状は肺の苦しさと咳と37度の高めの平熱が20日間ほど続いたのだが、PCR検査には至っていないのであくまで感染疑いだ。しかし無症状でも陽性の可能性があるくらいなのだから、コロナと思って療養していた。免疫力をあげるために食事をしっかりとり、睡眠をたっぷりとるようにした。いままでは朝起きてもまったく疲れが取れておらず、開口一番に「疲れた」と漏らしていたほどだったのだけど、これを機に、自分の疲れが取れる睡眠時間がどれくらいなのかを試してみたところ、だいたい8時間だった。感染疑いになる前は数週にわたり仕事が立て込んでしまい、事務所で子どもを寝かしつけてそのまま深夜まで仕事を続けていたので、だいたい5時間くらいの睡眠、しかも徹夜も何度かあったため、免疫力が落ちていたのだろう。
この、たっぷりの睡眠がとても良く、朝起きても疲れがなくリセットされたような心地良さだったので、治癒以降もこの8時間睡眠と三度の食事をしっかりキープするように心がけ、残りの時間で育児と仕事をすることにガラッと変えた。感染によって免疫が進化したのかどうかは素人の私にはわからないことだけど、何はともあれ仕事のために真っ先に削る対象だった睡眠や食事を、自分の心身の健康のために大事にするようになったこと、これは本当に大きな変化となった。

仕事第一ではなく、自然に健やかに生きることのなかに仕事もある

約1年半前にも、同じような大きな変化があった。仕事が第一優先で時間が許す限りいつまでも仕事をし続けていた私が、37歳の時に子どもを産んだことで、赤ちゃんの生活リズムを守ることに徹する暮らしに変わらざるを得なくなったのだ。身も心も第一優先は赤ちゃん。産後は常におっぱい、おっぱい、ねんね、おっぱい、おしっこ、おっぱい、うんち、おっぱい、おっぱい、ねんね、おしっこ、おっぱい、ねんね、の無限ループが24時間体制で昼も夜も休む暇なく続く。自分のタイミングでご飯も食べられなければ、トイレも行けない日々が数か月。
野性的で、理不尽で、うんちとおしっこばっかりのかわいい生き物は、こちらが横柄にコントロールなんてできないししちゃいけない、まるで“自然”そのものだった。あるがままを受け止め、赤ちゃんの“泣く”という言葉のない言葉を汲み取り続ける日々。命を産み育むという原始的な出来事に対し、私自身もまた従順に体と心は変化して、子を愛で、敵から子を守る虎のごとくホルモンのままにカリカリしながら、ほぼ1日中、乳を出しっぱなしで乳をあげ続け、それはそれで野生的なありさまだった。
産後すぐに仕事復帰していたものの、2か月間は自宅でリモート作業。その間に事務所の一角を保育スペースに変え、3か月目には赤ちゃんを抱えて事務所での仕事をスタートさせた。だけど、仕事だけに集中していたこれまでってなんて楽なことだったんだろうと思うくらい、両立なんてものはしんど過ぎ。赤ちゃんにやっと昼と夜のリズムがつき始めた月齢4か月ごろでも夜間授乳は続くので、こちらの夜のまとまった睡眠は2時間おき、眠りが浅いままに次の授乳の時間になり、慢性的な寝不足の日々。仕事なんて無理である。目の前の0歳は、薄い皮膚に包まれた心臓がベッドに転がっているかのように繊細で、その神聖さにうっとりして「この時間がずっと続けばいいのに」と思うくらいかわいい。そして同時に「昼も夜もなく世話をしてフラフラのしんどい毎日はいつまで続くのよ」とも思う、そんな混沌とした毎日だった。
月齢が上がってくると少しずつお昼寝の時間が短くなっていくので、ねんねの間にしていた仕事はできなくなり、スタッフと交代しながらお世話をして何とか仕事する時間を増やしていき、1日1日がまるで綱渡りしながら山を乗り越えるような感じだった。次第に子どもの昼寝の時間は少なくなっていき、夜間授乳の間隔も開いていくのだけど、保育園の助けも借り始めたら私もうっかり仕事を受け過ぎてしまい、事務所で子どもを寝かしつけ、夜中まで作業し続けることも多々だった。1歳7か月のいまはもうすっかり幼児で、朝6時に起きて、お昼寝は昼に1時間半ほどを1回、夜は20時半くらいに寝るというリズムなのだけど、今回のコロナの感染疑いは、そうやって子どもを寝かしつけた後に夜中まで仕事をし、睡眠不足の日々が続いた後に症状が現れたのだった。

限られた時間のなかで、本当にやらなくてはいけないこと

“アフターコロナ”の前に“アフター出産”の世界を生きていた私は、子どもを通して感じる“体の自然”への気づきが大いにあったのだが、コロナウイルスがもたらしたものも、それと似たものだった。そしてそれは、かつて自分が暮らしていた環境が私に教えてくれていたことと、同じものでもあった。目に見える自然の営みも見えない営みも、私たちと共存関係にあり、私たちも大きな循環の輪っかの一部であること。あそこでの暮らしはかけがえのない原体験となって、私の輪郭を作っているように思う。こうして自分の生まれ育った場所の存在は、年を重ねるごとに意味を増していく。
18歳で東京にきて、いま39歳。もはや田舎での暮らしより東京での暮らしの方が長くなってしまった。ついこの間は、子どもとマンションの下の庭で遊んでいた時にダンゴムシを見つけたのでひょいと摘んでみると、反射的にゾワっと気持ち悪さを感じ、そのことがバロメーターのように、都市での暮らしに慣れてしまったことを教えてくれた。幼いころにあんなに土にまみれてたくさん遊んだ虫たちは、すっかり自分に相入れないものになっている。
6月中旬、外出自粛の緩和を機に、ずっと控えていた帰省をした。カエルの声がどこまでも広がり、鳥の声が彩りを添え、湿った空気が森と草木と土の匂いをより濃縮させ、思わず何度も深呼吸を促される場所に、帰ってきた。かつての畑の半分はもう農作物を作っておらず、たくさんの花が咲く広い庭になっていて、うずうずする子どもに誘われるままぬかるみを歩き、水たまりに足を突っ込み遊ぶ。茂みに腰を下ろすとすぐにダンゴムシを見つけたので、ひょいと摘んだ。だけど、ただただ自然しかないここに身をおくと、不思議なことにダンゴムシは気持ち悪くなかった。子どもに手を引かれながら、私が過ごした懐かしい自然に連れて行ってもらっているようで、それは未来なのか過去なのか一瞬わからなくなるような感じだった。
ふと『懐かしい未来』という本のタイトルが思い出され、まさに懐かしい未来に手を引かれていると思った。だけど、その豊かな自然を子どもらが未来に享受できるのかどうかは、私たち大人が生きている間に、自分たちの行いを棚に上げず、どれだけ自然を守れるのかにかかっている。大袈裟でも何でもなく、そういう時代を生きている。いまを生きている間に大人が果たすべき責任はあまりにハードなものだけど、目の前の子どもによって、コロナによって、そして自分の生まれた場所によって、ちっぽけであっても自分の仕事の目的はより明確になっていく。
長嶋りかこ(ながしま・りかこ)
Profile/1980年生まれ。village®️代表、グラフィックデザイナー。VI計画、サイン計画、装丁、空間構成など、グラフィックデザインを基軸としながら、自然環境と文化/福祉への貢献を目指し活動する。これまでの仕事に「札幌国際芸術祭“都市と自然”」(2014年)、「東北ユースオーケストラ」(2016年-)、廃棄生地を再利用した展示「DESCENTE BLANC exhibithion」(2018年)、プラスチックボトルを再利用した生地にヤレ紙の塗料汚れをプリントしたテキスタイル「Scrap_CMYK」(2019年)、デサントのリサイクル活動「RE DESCENTE」(2020年)など。
Text & Photography by NAGASHIMA Rikako
Edit by NARAHARA Hayato
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