さまざまな「美」のあり方を発信していくために、いくつもの研究機関を持つポーラ。肌を美しくすることを目的とした従来の研究はもちろん、近年はヒト全体を対象として、自己を知り、美しい人生に役立つモノやコトを生み出す研究へと発展しています。
「『美』の研究者たち」では、研究員が取り組む未来に向けた「美」の研究内容やポーラグループの研究員としての働きがい、思い描く未来のかたちについてお届けします。登場するのは、マルチプルインテリジェンスリサーチセンターに所属する近藤千尋さん。イノベーションを起こすことをミッションに世界を「ぶらぶら」し、人々の美の探求を行う研究とは?
宇宙からファッションまで。世界中の「美」を集める仕事
-ポーラの研究員というと化粧品の開発をしているイメージが浮かびます。
基盤研究の部署でシワやシミの研究をやっていたこともあり、たとえば2019年に発売された新しい「ホワイトショット」の美白成分(※)は、10年前に私が所属していたチームで見つけたものでした。
※メラニンの生成を抑え、シミやソバカスを防ぐ成分。
その後部署移動を経て、2018年からマルチプルインテリジェンスリサーチセンターにできたキュレーションチームのリーダーとして、新しい技術やニーズに関する情報を国内外から集める仕事をしています。このキュレーションチームに所属しているメンバーを「ぶらぶら研究員」と呼ぶんです。
-「ぶらぶら」とは、どのようなことをしているのでしょうか?
本当にぶらぶらしてますね。チームのメンバーは5人で、それぞれが世界各国をぶらぶらして、さまざまな情報を集めてきます。私としては、ただ情報を集めてくるのではなく、自分たちの研究と外の世界をつなぐ間に立つ仕事だと思って取り組んでいて、翻訳者のような気持ちです。
※コロナ禍では、「オンラインぶらぶら」を行い、オンライン上で国内外の情報を収集すると共に、連携先と独自調査を実施。また、得られた情報を社内へ共有・議論するウェビナーを新たに開催している。
研究所にいるだけでは思いつかないようなところまで発想を広げるヒントや着眼点を持ってくることが目的としているので、「宇宙」というキーワードで開催されたビジネスアイデアコンテストに参画したこともあります。マサチューセッツ工科大学の工学系の研究者と定期的に情報共有や意見交換をしたり、グループの社員から宇宙と皮膚をつなぐアイデアを募集したりしました。従来のポーラと遠ければ遠いものとつなげるほど、おもしろいアイデアが生まれるんじゃないかと考えています。
また、スポーツウェアを普段着に取り入れる「アスレジャー(※)」について調べていたことも。欧米で流行しているスポーティーなスタイルの背景には、ウェルネスやフィットネスに対する興味関心の高まりがあると感じました。体を動かして健康を保つことは、私たちの研究所で発見した「筋肉が美肌に関係している」という結果ともつながります。
※「運動競技の」「体育の」といった意味の「アスレチック」と「余暇」「自由時間」といった意味の「レジャー」を組み合わせた造語。
個人的な興味としては、もっと人文系の研究者に話をうかがいたいと思っています。例えば、言語学。オノマトペって「ふわふわ」とか「ぺたぺた」とか、触感に関係する言葉がいろいろあるんですけど、それがどういうふうに生まれたのか、なぜ2回繰り返すのかといったことが知りたいんですよ。
-分子生物学という専門を持っている上で、人文系の学問も学びたい。近藤さんの知識欲に圧倒されます。
今でこそバイオ系の研究をしていますが、子どもの頃から生物とか実験に興味があったかというと、そうでもなくて。むしろ、本が好きで読書ばかりしていました。親が美術好きだったので、子どもの頃から美術館にもよく一緒に行っていて、自分自身の趣味嗜好としては文系なんですよ。
薬学部に入ってからはとても苦労して、個人でどんどん研究を進められるほどセンスがなかったので、良い成果が出しづらかった。自分には研究者としてのセンスがないんだ、と落ち込みました。でも、会社に入って、初めて研究が楽しいと思えたんです。基本的にチームで研究を進めるので、できないことは他の人がサポートしてくれる。自分は自分のできることで、貢献すればいい。チームとして強くなれば大きな成果が出せるんです。
研究者として一点突破できるような才能はなかったけれど、先ほどの読書や美術のように、学生時代から広くいろいろなことに興味を持っていました。友人もアーティストやカメラマンなどけっこう多彩だったんです。それが、今の仕事にはすごく活きています。
-近藤さんの興味や資質が、ポーラでの研究、仕事にガッチリはまったんですね。
さまざまなジャンルの知識を組み合わせることで、イノベーションが生まれる。昔は自分のことを中途半端だと思っていたけれど、今の時代には合っているのかもしれません。
世界の「美」に共通点はある?
-従来のポーラの研究と幅広い分野を掛け合わせていく中で、ポーラらしさを失わないために意識していることはありますか?
私の部署のミッションは新しい価値をつくり、未来に向けて研究所を変えていくことですが、その前に変えてはいけない部分も明確にしないといけません。化粧品をメインに扱うというところは変わってもいいと思いますが、美に関する会社であるところはおそらく変わらない。では、美とはどういうことなのか。それを考える活動も進めています。
-美について考える活動とはどのようなものでしょうか?
例えば、グループ各社の人たちを交えて、京都の伝統工芸の方々と話をする機会を定期的に設けたことがあり、100年以上続く伝統の根底にある美意識とはなにか、文化を形成するとはどういうことかを話し合いました。
その次に、グローバルな視点で美を捉えるため、デンマークのコペンハーゲンにある会社と組んで、ビューティに関する事例をひたすら集めたことも。日本とヨーロッパでは入ってくる情報が違うので、突き合わせるとすごくおもしろいです。
化粧品に関する事例もあれば、ファッションのトレンドの事例もあるし、メディアとして誰かをエンパワメントするといった事例もあります。ダイバーシティやジェンダーの問題にも関係してくる。世界では、ビューティというものがさまざまな視点で語られているのを実感します。それらを整理して見えてくるものと、自分たちが向かう方向性について、グループ横断で議論していくんです。
-世界のビューティ事例に共通点は見つかりましたか?
一つの正解はなさそうです。ナチュラルやオーガニックなものが美しいという考え方もあれば、人工的に整えられたものが美しいという考え方もある。どんな国でも、どんなテーマでも、常に両極の考え方が存在するんですよね。ただ、ビューティというものに対してわるい印象を抱く人はいない、というのは共通していると感じます。美しいものが好き、憧れる、という気持ちはどの世界にもある。そうしたポジティブな対象に目を向けていられるのは恵まれた立場だなと思います。
今は、医療技術の進歩など、マイナスをゼロにするという取り組みが世界中で進められていますが、その次はゼロになった人たちをどうプラスにしていくか、という課題が出てくるはずです。そこで、美を中心に人が集まることに貢献できるなら、私たちのやっていることはすごく可能性があると思います。
ポーラは、調査、研究、製品開発、販売ができ、ブランドもあってお客様もいる。これからの社会にこうなってほしいというものを、具現化して世に出すことができます。だからこそ、世の中を良くする責任は我々のようなポジションの会社が担っているのかもしれません。
美について考え、議論し、選択肢を増やすグループへ
-世界中の美に共通解がないとなると、現在のシワ改善や美白といった製品は将来、必要がなくなっていくものでしょうか。
それは難しい問題ですね。エイジングはそこまで悪いことではないと思いますが、自分のことを考えても、いきなりものすごくシミ、シワが増えてしまったり、ニキビがたくさんできたりしたら、毎日楽しく過ごせないと思うんです。私自身は、「自分として最善の状態でありたい」という欲求は持ってしまいます。
もちろん、持たない方もいらっしゃるとは思うのですが、そこに対して、私たちが「この状態が正解です」と押し付けるようなことはしてはいけないと思います。ただ、誰かの考え方に寄り添ったときに、今までと違う解決策が必要なら、それをつくるべきなのかもしれません。既存の製品がなくなるというよりも、解決策を増やしていくことになるんじゃないかと思います。
そのとき、やはり美について考えることが必要です。ポーラが製品やサービスを世の中に出したがゆえに、誰かが悲しむようなことになってはいけないし、それに留意するのはグループの全員です。だからこそ、グループ横断でさまざまな切り口で美について考え、議論することが必要だと思っています。常に頭の中にその問いを置いておけるような状況をつくりたいですね。
-近藤さんご自身しては、今後のキャリアをどのように描いていらっしゃるでしょうか。思い描く未来はありますか?
入社してから15年以上経ち、さて次のステップをどちらに進もうか、と考えているところです。
コロナ禍、世界各国の人たちと話をするなかで、技術だけではない、文化や社会を理解する重要性を改めて実感しましたし、不確実な時代において美に目を向けることは、救いのようなものだとも思いました。研究の楽しさや研究員という性分は捨てたくはないので、いま、「私の」研究テーマをゼロから考えるとしたら何だろう?と日々妄想しています。文化の研究もしてみたいし、メンタルヘルスのような社会課題を研究するのもいい。いつか人文系の論文を書きたいな、とも。
-知識欲は果てないですね。そんな近藤さんの姿を見て、感化される方もたくさんいるのではないでしょうか。
自分が誰かのロールモデルになれるとは思っていないし、なるつもりもありません。でも、例えば後輩の研究員が私くらいの立場になったとき、それまでの専門性に固執することなく、「これだけ振り切った人もいるんだから、自分もチャレンジしてみよう」と、好奇心に忠実に、自由に一歩を選べるよう後押しする「変わった事例」の一つになれればとは思います。
もともと実験室に籠る生活を想像して入社した私が、世界をぶらぶらしているくらいなので、緻密に立てたプランが必ずしもその通りにはいくとは限らない。と思っています。
だからこそ、出来る限り楽しんでいきたいです。
近藤千尋(ポーラ・オルビスグループ リサーチセンター 研究員)
2004年、東京大学大学院 薬学系研究科卒業後、ポーラ化成工業入社。シミ・しわに関する基礎研究に従事。2016年より研究企画にて研究戦略やオープンイノベーションの推進を開始。2018年より、ポーラ・オルビスホールディングス マルチプルインテリジェンスリサーチセンターにて、世界各国から新たなシーズとニーズの探索を行う「キュレーションチーム」のリーダーを務める。
Photographs by Kaori Nishida