Topics  

オリジナル短編小説『朝』 第1話

花々が茎や葉、根で作られるように、私たちも一つひとつの記憶や経験、生き方でつくられる。独特の文体で知られる芥川賞作家・小山田浩子が書き下ろしたのは、花にまつわる記憶とともに新しい朝へと向かう、一人の女性の物語。出会うすべてのことを栄養にしながら、自分を信じて前へ。第1話は、シンビジウム。
share
大きなソファにすっぽり寝転びうとうとしていた。やや粗い織りの懐かしい肌触り、誰かがかけてくれた小さいブランケット、この匂い、光の色、伯母の家だ。1 階の、南向きの、ガラス越しに冬でもたっぷり日光が入る暖かい部屋、古い応接間だけれどいまはほとんど温室のようになっている。そこら中にランの鉢が置いてある。足の踏み場もないほど、床にもガラスのローテーブルの上にも窓際壁際にも、半透明な花のつけ根に澄んだ蜜が滲みしずくのかたちに溜まっていて、だから私はそれを蜂蜜ランと呼んだ。蜂蜜ランの部屋、私はよくここで 1 人過ごした。心地よく放っておかれて、走り回ったりおもちゃで遊んだりするのとは違う時間を、明るくて静かで安らかで私はまだ子供で、それもかなり幼い。伯母の娘(だから私の従姉)はもう大きくて家を出ていて、それでだかどうだか伯母は私をいつもとてもかわいがってくれた。ちゃんとしたカップ(ソーサーつき。季節の花の絵がついている)の紅茶にいくつ角砂糖を落としても怒られない。鉢に挿してある栄養アンプル、メロンソーダのような色、蜂蜜ランのつぼみはいつも下から順に咲く。開いた花の真ん中に、アハッと笑った女の人の口のような、口紅の奥からぺろりと見える舌のような、そんな不思議なかたちがくっついている。それ、ランのそこ、リップって言うの、本当に。いつの間にか部屋に入っていた伯母は先がすいっと白鳥の首のように曲がったジョウロで鉢に水をやって回りながら教えてくれる。子供の私も爪先立ちで注意しないと鉢を倒しそうになるのに、ふくよかな伯母はまるで魔法のようにすいすいと鉢の隙間を動き回り花弁に触れたり匂いを嗅いだりしている。どうしてこの部屋にはこんなにたくさんランがあるの…… 1 年中花盛りなのはどうして……あの栄養アンプルに秘密があるの? シンビジウムはね(シンビジウム? この、蜂蜜ランの名前)、根元のところがふくらんでいるでしょ、ここに栄養とか水を貯めて大きくなって、それできれいな花が咲くの。ふーん、と唸りながら寝転んだまま指で蜜を舐める。甘い空気に、小さいなにかの粒子が光って漂うのを見上げている。
Novelist 小山田浩子/Hiroko Oyamada
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。2018年には15作品を収録した、短編集「庭」を刊行。独特の文体で紡ぎ出される作品は海外でも高い評価を受け、さまざまな国で翻訳・出版されている。
Photographer:Jun Imajo
Flower:Michi Hayashi
share