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オリジナル短編小説『朝』 第2話

花々が茎や葉、根で作られるように、私たちも一つひとつの記憶や経験、生き方でつくられる。独特の文体で知られる芥川賞作家・小山田浩子が書き下ろしたのは、花にまつわる記憶とともに新しい朝へと向かう、一人の女性の物語。出会うすべてのことを栄養にしながら、自分を信じて前へ。第2話は、ラベンダー。
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子供時代の夢からさめた。昨夜は早めにベッドに入った。よく眠れるよう枕元のサシェにラベンダー油を垂らして、すぐ眠りに落ちて、でも、多分そのせいで夜中に目を覚ましてしまった。昔からそうだ、心配事があるとやたら眠くなって、優しい夢を見て、でも夜中に目がさめて余計に不安になっている。とはいえ、夢からさめた私はもう子供ではない。きっちり締めていなかったカーテンの向こうがまだ暗い。暗いというか黒い、最近ガラスを磨いていない、ところどころに白く浮き上がったように汚れが見える。目を閉じる。水を飲もうか、起き上がるのは億劫で、もったり甘い匂い、サシェには母が庭で育てたラベンダーが詰めてある。未来への希望はいつでも不安と表裏一体で、明日朝起きたらガラスを磨いて、でも、いまはもう少し寝るべきで、もしかしたらまだ全然真夜中なのかもしれない。時計を見たくない。やっぱり水は欲しい、喉が渇いたというよりももっとなにか体の奥がこわばっているような、枕元に用意しておけばよかった、でも起き上がったら目が冴えて眠れなくなってしまうかもしれない……何も考えずに朝まで眠れるのが当たり前だったのはいつまでだっただろう。それぞれの年齢にそれぞれの悩みがあったはずで、でもそれを、逐一解決するなんて到底できないまま、でもどうにかここまでやってきて……閉じたままのはずの瞼にうっすら光が見える、もしかしてもうこれはまた夢なのか、鉢植えにつぼみが 1 つついている。いつ咲くか、もう咲いてもおかしくないような気もするし、なにかの拍子にぽろりと落ちてしまうかもしれないとも思っている。水遣りのときに葉や土に触れるのも少し怖いような気がして、でも触れればちゃんと生きているとわかるけれど。つぼみさえつけばいずれ咲くものだと信じこむのは危険で、不安になりすぎると身動きが取れなくなって、つぼみはかすかに震えて揺れているように見える。まるでいまにも咲きそうに? それとも落ちそうに? いややっぱり夢だ、ベッドはすみずみまで自分の体温で温まっている。子供のころから、こういうときに見る夢は、いつもきれぎれなのに妙に繋がって、目がさめたら大人なのだから、夢の中でくらい子供でいたい。私は手探りに甘いサシェをつかむ。乾いたラベンダーがさらさら鳴る。
Novelist 小山田浩子/Hiroko Oyamada
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。2018年には15作品を収録した、短編集「庭」を刊行。独特の文体で紡ぎ出される作品は海外でも高い評価を受け、さまざまな国で翻訳・出版されている。
Photographer:Jun Imajo
Flower:Michi Hayashi
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