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オリジナル短編小説『朝』 第6話

花々が茎や葉、根で作られるように、私たちも一つひとつの記憶や経験、生き方でつくられる。独特の文体で知られる芥川賞作家・小山田浩子が書き下ろしたのは、花にまつわる記憶とともに新しい朝へと向かう、一人の女性の物語。出会うすべてのことを栄養にしながら、自分を信じて前へ。第6話は、ジャスミン。
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近所のどこかでジャスミンが咲いた。初夏の朝の、自分の中の別の自分も目覚めて微笑むような匂い、今年は少し遅いねと伯母が言い、おばあちゃんがこの花、好きだったねと母が言った。そうだった好きだった。母と伯母がおばあちゃんと呼ぶのはだから私にとって曽祖母に当たる人で、私は会ったことはない。おばあちゃんはいい匂いの花がとにかく好きで、毎年この匂いを楽しみにしてた。くちなし、泰山木、どうして白い花はこんなに匂いがいいんだろうって、色の分の栄養を匂いに変えるからかしらって。うちでも植えようかって話してたけど結局植えずじまいだったね。違う、おばあちゃんが欲しがったのはね、藤。ああそうだった……それもやっぱり、白いのね。
私が生まれ育った家には藤の古木があってね。会ったことのない、でもどことなく伯母や母やそして私に似た女性が話してくれる。白い花の、見事だって、毎年たくさんの人が見に来たの、田舎の山の中におおぜいわざわざ。知っている人ならそれはお茶くらい出すし、そうじゃない人だってどうぞごゆっくりって、小さい腰掛けやなんかも用意してね。本当に見事なの、五里先まで匂ってきましたって、知らせなくたってみなさん集まるの。花の房が長く長く、いくつもいくつも、枝垂れてね。葉っぱもなにもないつるに小さい花芽ができてどんどん、まるで小鳥が生まれてくるみたいにふっくらふくらんで伸びていって、1 本 2 本、解けて開きだすと追っかけて葉っぱの芽が出て。あっという間にわあっと、最後には葉っぱばかりになる。開いた花をね、房からいくつか摘んで、黒い丸い水盆に浮かべるの。夜にチョウチョが遊んでいるような、白の真ん中に黄色と薄紫がぽっちり落ちたようになっていて、一晩ふた晩は、寝室が、息苦しいほど匂ったものよ。花の盛りに私が出て行くとみなさん喜んで、きれいきれいって、もちろんそれは藤の花がなんだけれど、私は藤見物に来た人に見初められてお見合いをしたの。あの藤の木はもうないけれど、春になってこの匂いを嗅ぐとうんと遠くに、五里とは言わないけれど先の先の先くらいに、里の藤が枝垂れているような気がしてね。
Novelist 小山田浩子/Hiroko Oyamada
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。2018年には15作品を収録した、短編集「庭」を刊行。独特の文体で紡ぎ出される作品は海外でも高い評価を受け、さまざまな国で翻訳・出版されている。
Photographer:Jun Imajo
Flower:Michi Hayashi
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