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オリジナル短編小説『朝』 第11話

花々が茎や葉、根で作られるように、私たちも一つひとつの記憶や経験、生き方でつくられる。独特の文体で知られる芥川賞作家・小山田浩子が書き下ろしたのは、花にまつわる記憶とともに新しい朝へと向かう、一人の女性の物語。出会うすべてのことを栄養にしながら、自分を信じて前へ。第11話は、バラ。
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自分で決めた転職記念にバラを買う。プレゼントですか? いいえと答えかけはいと言い直した。リボンは何色に? じゃあ、花と同じ色に。花とリボンが夜に溶けそうで、止まると不安ですくみそうで、でももう決まったし決めたのだ、始めた、もう始まった、急ぎ足で帰宅し活けた。新生活の慌ただしさに花はどんどん開きこぼれ気づくと葉っぱになっていた。水から引き抜くと茎の切り口に小さい白い粒のようなものがくっついている。じっと見た。うんと小さい、でも多分生きていた。新しい水を満たし、数日するとそれはふくらんだ。
生花店に立ち寄った。あの、この前こちらでバラを買った者ですけれど。リボンを結んでくれた、目元に薄い空豆型のしみのある女性は、ええ、覚えてます……なにか? これ、なんだろうと思って。
スマホで撮った写真を見せた。ああ、それ、バラの、根っこです! やっぱり、じゃあ、土に植えたら、咲きますか? 新しいお客さんが来てブーケを頼んだ。彼女は帰らないでくださいねという風に見える目で私を見た。どんな感じにしましょう? えーと、ふんわり優しい、メインはやっぱりバラかなあ……彼女は花を選び茎を切り揃え葉を落とし薄紙で包みリボンの色を尋ねた。ありがとうございました……それで、ええとですね、彼女は私に微笑んだ。絶対じゃないですけど、花がまた咲く可能性は十分あります、お世話と気温あとは運ですね、運はやっぱり、大事です、タイミングとも言えますけど。え、運ってタイミングなんですか? 思わず聞き返すと、はい、彼女はきっぱり言い切った。運はほとんど、タイミングです、なにをいつするか、いつしないか。
バラなんてすごく派手なのに、根っこはこんな、小さいところから始まるんですね。そうですよ! 彼女は私のベランダで私の淹れたお茶を飲みながら頷いた。私たちって、お店では、余分な棘も葉っぱも根っこも取っちゃいますけど、でも本当は全部 1 つで、そこから始まるんですから、全部がきれいなところなんです、根っこも葉っぱも種もなにも萎れたところも、本当はね、私は全部好きなんですよ。笑うと彼女の空豆がふにゃっと動いてそれが目尻の皺と混じって、小さなチョウチョみたいに見える。
Novelist 小山田浩子/Hiroko Oyamada
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。2018年には15作品を収録した、短編集「庭」を刊行。独特の文体で紡ぎ出される作品は海外でも高い評価を受け、さまざまな国で翻訳・出版されている。
Photographer:Jun Imajo
Flower:Michi Hayashi
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