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オリジナル短編小説『朝』 第12話

花々が茎や葉、根で作られるように、私たちも一つひとつの記憶や経験、生き方でつくられる。独特の文体で知られる芥川賞作家・小山田浩子が書き下ろしたのは、花にまつわる記憶とともに新しい朝へと向かう、一人の女性の物語。出会うすべてのことを栄養にしながら、自分を信じて前へ。最終話となる第12話は、白い花。
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目がさめた。伸びをした。もう朝だった。起き上がり窓を開けると薄暗い、曇り空だった。空気が入れ替わり、部屋にこもっていた自分と花の匂いが混じり合ったものが徐々に薄れていき、それと一緒に夜じゅう見ていた夢、夢というかなにかを思い出していたような、忘れているつもりででも消えてしまいはしない、いろいろな記憶や匂いや手触りが立ち上って混じって流れ、液晶画面に従姉からメッセージが届いていた。
『お元気ですか? 近いうちに久しぶりに家族で帰国できそう! そちらは実家に帰る予定はありますか? 会えたら嬉しい、子供たちも楽しみにしています』
顔を洗って水を飲み、花瓶の水も替え 1 枚羽織ってベランダに出る。雨が降るかもしれない、天気予報はあてにならない。私も随分長いこと実家に帰っていない。母にも伯母にも従姉にも会っていない。大人になってからの日々はどうにも早く過ぎて、ただぐるぐる逡巡しているだけの時間すら我に返らず過ぎ過ぎてしまうことも多い。会いたいなと思うこと自体、すっかり忘れていた気もする。
『私も帰ります』入力しながら反対の手でベランダに置いたいくつかの鉢植えの土に触れる。ぎゅっと詰まっているの、しんなり湿っているの、ほろほろ乾いているの、この子はそろそろ植え替えをしたほうがいいかもしれないねという声を思い出す。根っこが、ほら、こんなに。初めて、一緒に帰ってもいいのかもしれない。『私もみんなに会えるのを楽しみにしています、帰国の日が決まったら、教えてね』みんなに紹介したら、みんなを紹介したら、どんな花が咲くだろう。遠くに白いものが見えた。なんだろう、多分花、でもそれはほとんど光のようだった。空から差しこんでいるのではなくて地面から立ち上がっているような、それがずっと広がっていくような、それがここまで来てくれたような、部屋に入る、電話をかける、窓を細かい雨が打ち始める。「もしもし?」それは平凡な朝の、柔らかくて暖かい、多分春に向かう雨だった。
Novelist 小山田浩子/Hiroko Oyamada
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。2018年には15作品を収録した、短編集「庭」を刊行。独特の文体で紡ぎ出される作品は海外でも高い評価を受け、さまざまな国で翻訳・出版されている。
Photographer:Jun Imajo
Flower:Michi Hayashi
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