Beauty  

連載 〈美しさの秘密〉
第1回 歌舞伎俳優・尾上松也「 伝統芸能を担う、美しき挑戦者」

伝統や風習に縛られず、様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、彼らの「美しさ」の秘密を掘り下げる本企画。 第1回目に登場するのは、歌舞伎俳優の尾上松也さん。ミュージカルへの出演やアニメーション映画の吹替など、常に新たな分野に挑戦し続けながら、歌舞伎を未来へと継承する姿に、美しさのヒントをみつけました。
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尾上松也

伝統芸能の中で生き続ける術とは

−2018年は、1月の新春浅草歌舞伎に始まり、各地での歌舞伎公演が続き、多くの初役、大役に挑戦されました。その一方で、9月にONWARD presents 新感線☆RS『メタルマクベス』disc2 Produced by TBS(作・宮藤官九郎/演出・いのうえひでのり)では主演を勤められました。歌舞伎俳優でありながらも、常に革新的な分野に挑戦されている印象があります。その動機、きっかけは何でしょうか?
もともとミュージカルや歌が好きだったこともあるのですが、大きなきっかけはもっと切実なものでした。僕は古くから続く歌舞伎の家の生まれではありません。父(六世尾上松助)の代から歌舞伎を始め、僕は二代目。その父も僕が20歳のときに亡くなってしまった。そんな中で、お役をいただき続けるためには、また同世代の俳優になんとか食らいついていくためにはどうしたらいいか。そう考えた時、歌舞伎以外のジャンルでもお客様に認知していただくということが、僕が生き残っていくためには必要不可欠なことだと。早い段階からそういう思いがありまして、何度かオーディションを受けたりしました。
−当時の松也さんはまだ20代前半、未知の分野に挑戦する勇気はどこから?
いえ、勇気を出してチャレンジ、という感じではなかったですね。もうそれしか選択肢がないと思っていました。お役が来るのを待っているしかない状況。しかも待っているだけでは、何かが変わる兆しは全く感じられませんでした。変えるためには動くしかない。歌舞伎俳優であり続けるためには、新たな世界を切り拓いて勝ち得るしか術はありませんでした。やるしかない、やってうまく行かなかったら自分はそれまでの人間だ、と思っていました。
−歌舞伎の自主公演を始めたのも同じ時期ですね。『挑む』というタイトルが印象的です。
第1回目の公演の時は、とにかく必死でしたね。無理をしてでも、波風を立ててでもやるしかない、と。がむしゃらでした。自分のコンプレックスをエネルギーにしていた部分もあります。「なにくそ根性」というか。歌舞伎の自主公演となりますと、主催者の名前をつけるのが普通なのですが、それが嫌でしてね。まだ何もできない23歳が生意気だったとは思いますが、僕がいいなと思う役者さんに声をかけました。あえて自分を中心にせず、自分と彼らの会である、僕たちの会であるという意味で『挑む』と名付けたのです。
−文字通り、今までの伝統に『挑む』姿勢でもあったのですね。スタートから10年目を迎えますが、挑んだ先に得たものは?
回を追うごとにだんだんお客様にも認知していただいて。また、歌舞伎以外でお仕事がいただけるようになると、歌舞伎の方でも徐々にお役をいただけるようになりました。2014年に『コクーン歌舞伎 三人吉三』で、同世代の中村勘九郎さん、七之助さんご兄弟と三枚看板でやらせていただき、昨年2月も同様に肩を並べて舞台に立たせていただきました。10年前、『挑む』を始めた時に思い描いていた自分が、今ここにいるという気持ちはしますね。ただ、気を抜いたら自分はすぐ終わってしまうという意識もあります。自主公演というものは、そういう気持ちを忘れさせないでいてくれる場です。年齢を重ね、様々な経験をしても、初心を思い起こさせてくれるような公演になっています。
メタルマクベス
©2018『メタルマクベス』disc2/TBS・ヴィレッヂ・劇団☆新感線、【撮影:田中亜紀】
「挑む 若き歌舞伎役者の舞」2009年 太刀盗人 すっぱの九郎兵衛 ©KENTA AMINAKA

すべての経験は演じることの土台に

−さまざまなジャンルに挑戦し、道を切り拓いてきた体験は、歌舞伎俳優としての人生にどのような影響を与えたでしょうか?
他の分野での演技の技術が、直接的に歌舞伎にフィードバックすることはありませんが、その役を生きたこと、つまり経験というものは確実に活きる。自分の土台みたいなものが積み重なってゆく感じはします。特に歌舞伎は同じ演目を何度も上演することが多い演劇ですから、何年か後にまた同じお役を演じると、最初に演じた時にはなかった感情がわき起こる、あるいは理解できなかったことが分かる、あるいは前はこう思っていたけれども今はこう感じる、そういうことが多く出てきます。過ごしてきた時間を経て自分の変化を実感しますね。また、お芝居をしていない時の、日々の経験や感じたことというのも、直接パフォーマンスに影響するだろうなというのはつくづく思います。
−演じること以外の生活、日常の中で節制したり、気をつけたりしていることはありますか?
それが、太らないために食べてはいけないとか、ストイックなことが大嫌いなんです。何かのルーティンを決めてやるのも大の苦手なものですから。芝居で痩せなくてはいけないという時以外は、なにも我慢はしません。心がけていることを強いて言えば、ストレスを溜めないこと、自然体であることでしょうか。
−それにしても素肌が本当にお綺麗です、どんな秘密があるのでしょうか?
肌のこともよく聞かれますけれど、何もしていないですね。お風呂から上がって乳液をつけるくらいです。でも、僕だけではなくて、歌舞伎の方はみんな肌が綺麗。僕も不思議に思って、仮説を立ててみたんです。まず、お役の化粧をするときの下地が非常に濃い。さらに白粉を厚く塗るんですけれど、要するにこれがパックをしている状態に似ているんじゃないかと(笑)。それから、僕らは1日のうちに何役か演じるわけで、そのつど化粧を軽く落として、次のお役の化粧をします。つまり軽い洗顔をこまめにしている。それも肌にいいのでは、と思ったのですが……あまり一般の方の参考にはなりませんね(笑)。

歌舞伎の女方の美しさは“心意気”

−歌舞伎俳優として、また一個人として、松也さんが女性に求める「美しさ」とはなんでしょうか?
今の現代女性に求める美しさと、歌舞伎で表現している女方(女性役)の美しさというのは違います。僕自身、特に若い時分は、スタイルと顔立ちが良いことがいわゆる綺麗な女方だと思っていましたけれども、ちょっと違うということがわかってきました。歌舞伎の中で表現する“美しい女”というのはトータルなんですね。顔が美しいということではなくて、やはり心意気。そういう部分の美しさというのが歌舞伎の女方の格好良さであり、美しさだと僕は思います。僕自身が今、女性に求めるのは……両方ですね。見た目も心意気も美しい女性に惹かれます(笑)。
−現在は堂々たる立役(男性役)として名を馳せる松也さんですが、若い頃は女方も数多く演じていらっしゃいました。両方を経験されたことで感じられる「歌舞伎の女方の美」とは、どこにあると思われますか?
歌舞伎の女方って“切ない”んですよ。例えば演技面では、どんなに頑張ってお芝居をしていようと、最終的に立役が大見得きって、派手に終わることがほとんどです。当時の女性のあり方自体、支える精神がメインなのですね。現代社会に照らすと、古くて良くないことだと思いますし、女性も活躍すべきだと思うのですが……ですけど実際、歌舞伎の中の陰に支える女性を見てみると、彼女たちなりの格好良さがあるように感じます。女方を経てから立役を演じていると分かる部分もありますね。女方がこの場面でこういう風に支えてくれていたのだ、と気づく。
−なるほど。中でも惹かれる歌舞伎作品の女方を教えてください。
いい女というか、歌舞伎の女方らしいなと思うのは、『仮名手本忠臣蔵』六段目、七段目のお軽(主君仇討を巡り運命に翻弄される夫婦の物語。お軽は夫勘平ために遊女となり、裏切り者を討つ)。勘平を思うひたむきさに惹かれます。夫婦愛では『吃又(どもまた)』の女房お徳(吃音でうまく喋ることができない実直な絵師を支える、情が深く雄弁な妻)。この女性も非常に優れた人だと思う。いい奥さんだなと思いますね。

先達が起こした革新のバトンを未来へ

−歌舞伎という伝統を守ることと、革新してゆくこととについて、どのようにお考えですか。
歌舞伎には約400年の歴史があります。その中で、時代ごとに先人達が新作にチャレンジしてきて、さらに変化を重ねてきたからこそ残っていると思います。今、僕たちがやらせていただいている「古典」と言われる作品もすべて、最初に上演された時は新作だったわけです。先人達が培ってきた作品を何度も再演する中で、そのつど先輩方が色々と工夫をなさり、未来に受け継がれるように僕らにバトンを繋いで来てくださったと思っています。
−古いものをそのまま守るのではなく、つねに新たな挑戦を続け、更新されてきたからこそ続いてきた文化なのですね。
はい。例えば、僕が1月に新春浅草歌舞伎で勤めさせていただく『源平布引滝〜義賢最期』という演目は、1973年に(一五代目片岡)仁左衛門のお兄さんが復活されて、役の形というのを作りました。12月の歌舞伎座での『幸助餅』も、(四代目中村)鴈治郎のお兄さんが、松竹新喜劇で上演されていた作品を歌舞伎として初演して、主役を演じるのは僕で二人目なわけです。そのような形で、役者が変わっても受け継いで行けるものを、僕たちの世代でも新しく作ってゆければ。志としては、新作を作るときは、未来の古典となりうるように、そのつもりで取り組んで臨むべきだろうと思います。
−松也さんたち若手の方々が引き継いだその先、歌舞伎の未来に望むものはなんでしょうか。
僕らより若い世代の方に、もっと歌舞伎を見ていただきたい。それには、今のニーズにあった新しい作品を作り、見ていただく努力をしてゆかなければなりません。今は、歌舞伎座も一年中開場して、また東京以外でも多くの公演をさせていただいていますけれど、そうではなかった時代もあります。僕にはこのままだと再びそういう時代が来るという危機感があります。先輩方には今まで本当に良くやってきていただきましたから、次は僕らの世代が一致団結して、やっていかなければならないと思います。
−大きな挑戦ですね。これからのご自身の活動の抱負もお聞かせください。
他のジャンルに出演させていただく時も、観客の皆様には、その作品にいる僕を通じて、「歌舞伎を見たい」という気持ちを持っていただけたら嬉しい、そう常に思っています。そのためには僕自身がその場所で十分に輝けていないと興味を持っていただけませんから。常に最大限の力で挑んでゆきたいです。
尾上松也(おのえ・まつや)
Plofile/1985年生まれ。90年『伽羅先代萩』の鶴千代役にて二代目尾上松也を名乗り初舞台。若手が中心となる『新春浅草歌舞伎』では最年長のリーダー的な立場を勤めている。歌舞伎以外の出演作には、ミュージカル『エリザベート』(ルイジ・ルキーニ役)やディズニーアニメーション『モアナと伝説の海』声優(マウイ役)などがある。https://onoematsuya.jp/ 
Photographs by KAWAHARA Ryoko
Text by KUBOTA Azumi
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